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日浦の城山へ行こう! 5 両新田神社へ
2017 / 03 / 12 ( Sun )
これまでお山歩した日浦地区のお山、城跡に縁深い、新田義宗、脇屋義治を祀った神社を最後に訪ねました。

 「石虎亭」の看板脇を入り、河中橋を渡ります。

 「← 両新田神社 お杖椿」の案内に従って左折します。


生活道な坂道を上り切れば、
 両新田神社です。
本堂は石積みされた一段高い場所にあって、下部は、
 集会所があったり、使用禁止のブランコがある公園があったり。

 公園の奥に一際、大きな木があります。


落ち延びてきた新田義宗、脇屋義治らが杖にしてたツバキの枝が根付いたと云う、「お杖椿」でした。

 根回り5.1m、高さ10m、枝張り東西15m、南北15.5m。

 公園向かって伸びた枝は支えがしてありました。

 傍らには、「義宗公腰かけの石」

 立派な石垣の上にある本堂へ。


鳥居、石段の先に、両新田神社の石碑。

 もうひと登りすれば、狛犬がお出迎え。

 狛犬コレクション。

小ぎれいな境内。

 拝殿。


登山の安全を感謝し、2礼2拍手1礼。


拝殿の上部左右には、大小の御神輿が置かれてました。

担ぎ棒が拝殿の壁から飛び出してます。


南北朝の争いで敗れた側にいた新田義宗と脇屋義治の消息は不明な部分が多く、
日浦に落ち延びたとする話は、数ある伝承のひとつです。

伊予の武将・河野通直が、義宗を上新田神社に、義治を下新田神社に祀り、
明治時代、二つの神社がひとつに合祀された際、社名を両新田神社に改めたのでした。


神社の裏山に新田義宗と脇屋義治のお墓があるので、訪ねてみました。


境内の隅、狛犬の後ろに登り口があります。


ジグザグと登っていくと、
 左上に古い五輪塔がありました。


応永12年8月7日、83才で逝去した脇屋義治のお墓です。

 よく踏まれた小径を登っていくと、
開けた畑に出ました。

畑の中をまっすぐ登り、
 畑上部のササのトンネルへ。

すぐに左に入る小径があり、その奥に、

石積みされた墓所、五輪塔がありました。

 応永12年11月5日、74才で病死した新田義宗のお墓です。


 気づけば夕暮れ時。

お昼過ぎにお山歩を始め、日暮れまでにすべて登り終えることができました。

今回登ったお山たちは、ホント、数年前からずっと登りたかったお山ばかり。

でも、登山口、ルートがはっきりせず、後回しにしてきました。

今治の温泉によく通っていた頃、よく立ち止まっては、登山口はないか、道はないか、観察してきました。

ついこの前、今治からの帰り道に、お山の麓を見て回りました。

二之森の登山口を探すため、林道を奥へ奥へと入ったときは、上総の分岐を通り越してしまい、
気がつくと梅木町の集落まで来てしまいました。

梅木町には初めて行ったので、それはそれでよかったです。

ちなみに、日浦にはもうひとつ、城跡があります。

上総集落の背後にある「重松城跡」です。

でも、200m近い標高差と登山口、ルートがはっきりしないため、今回はパスしました。


私事ですが、身内の諍いで少々、精神が病むほどではないけれど、心がくたびれています。

仕事も肉体労働が続き、体も疲れています。

そんな中で、晴れない思いを抱え、重い足を引きずってのお山歩でした。

木々の中に目を凝らして歩けそうな間隙を見いだしたり、ずるずる滑る斜面と格闘する一瞬一瞬は、
心のもやもやを忘れ、精神的に救われた瞬間の連続でした。

短いお山歩でしたが、楽しかった。

小さいお山でいいから、辛いときほど、お山に会いに行こうと思いました。

僕にはそれが似合う性分なのでしょう。

では。

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20:12:45 | コメント(回答)(0) | page top↑
日浦の城山へ行こう! 4 吉野森へ行こう!
2017 / 03 / 12 ( Sun )
日浦の城跡のあるお山めぐり、最後のお山です。

次は「吉野森」。

 ここです。


河中町に位置し、日浦小学校の真裏のお山です。

山頂には「森の城」や「吉野森城」と呼ばれるお城がありました。

『愛媛県中世城跡』には、森善三郎が居城と記載されています。

一説には、南北朝期の武将・新田義宗が築城、館を構えたとも。


さて、こちらも下山時に正しい登山ルートが見つかりました。

これから紹介するルートでも登れますが、一部、不明瞭な部分があったりするので、参考程度にご覧下さい。



「→ 平井 川の郷」の標識が指す方、県道196号河中平井停車場線へ右折します。

よく吠える犬にうーうーワンワン吠えられながら、カーブを曲がると、
 日浦小学校脇。

 コンクリートの壁には階段が2カ所あります。
そこからも登れそうだったけど、もっと分かりやすい場所へ。

 少し先にトラックが停められる余地があって、そこがこちら側の登山口です。

 おんぼろ小屋が目印。


県道から1mほど登り入ったところに、県道と並行する道があります。

 小学校の方、おんぼろ小屋のある方へ進みます。


広い道はすぐに行き止まってしまいます、けもの道が斜め上に向かってあるので、たどり登ります。


間もなく、U字溝を備えた小径に出会います。

再び、小学校方向へ進みます。

 小学校のフェンスが出てくるので、沿って右へ進み、
 コンクリート壁の端から上へ上がります。

 竹林の中にまたけもの道。
たどっていくと、

左下から来て山上へ向かう道のカーブに出ました。


実はこの左下から来てる道こそが正しい登山道です。

カーブから下は下山時に紹介します。

カーブから上、ここから山頂までのルートは共通です。


 カーブから山頂までは、尾根筋を避けて植林されていて、道のようにまっすぐ開けています。

 尾根筋には地籍調査の杭も点在。

 カーブから山頂までの高低差は約100m。
登るほどに斜度も増してゆきます。

 すると、ガイドロープが張ってあり、助かりました。
と云うことは、山頂に登る人がそれなりにいるってことなのかな。

日浦の子供たちとか、地域学習の一環で登ったりするのかなぁ。

 ほどなく、ロープ終了。


左に迂回路が設けられていますが、当初、迂回路だとは分からなかったので、そのまま直登しました。


迂回路が左から戻ってきて、ジグザグと山頂へ。


吉野森山頂に到着しました!

標高は、393m。


城跡にはありがちの祠が祀られていました。

 後ろには破去された祠の残骸。

山頂は東西に細長い楕円形。

平井や今治方面の往来を監視する砦があったのかなぁ。

 東側の尾根。

 昔から来たかったお山に登れました、感謝、合掌。


さて、下山です。

下のカーブまでは同じ、まっすぐ下ります。

 写真のカーブを曲がります。
下山時は右カーブになります。

 左に竹林がある道を下ります。

 その竹林越しに、小学校のプールが見えたと思ったら、

小学校の校庭の横に出ました。


フェンスに沿って歩きますが、左に曲がる箇所には、
 ケモノ避けの感電装置があるので気をつけましょう。


農道に合流し、そのまま下れば、国道317号線に出られました。

 国道から見た登山口。
「石虎亭」の看板が目印。

ここから登るのが一番分かりやすいです。


お山歩の終わりは、日浦の城跡に縁のある新田義宗、脇屋義治を祀った神社を訪ねます。


つづく。

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18:49:43 | コメント(回答)(0) | page top↑
日浦の城山へ行こう! 3 加名山へ行こう!
2017 / 03 / 12 ( Sun )
日浦の城跡のあるお山めぐり、次は、加名山です。

 ここです。

水口町と河中町にまたがる位置にあります。

『愛媛県中世城館跡』に、「加名山」の名が見られ、明治期の古地図には「古城山」の名が載っています。

地元ではもう別の名前で呼ばれているかもしれません。

山頂には「賀生(かのう)城」という城砦があったそうです。

南北朝時代の武将・脇屋義治にゆかりのあるお城です。

新田義貞の甥にあたる脇屋義治は、南北朝の動乱で敗れた側の勢力に属していた人物で、
落城後、伊予に落ち延び、日浦の里で晩年を安穏に過ごしたとこちらでは伝えられています。



日浦の代表的な場所、石手川ダムから水ヶ峠トンネルまでの間で一番、人家が集中して開けている場所は、
水口、河中、藤野と3つの集落が集まっていて、目指す加名山も国道の北側に見えてます。

ぽこぽこっと並ぶお山の、写真中央のお山が加名山です。


真南から見ると麓が段々畑、山頂部分にはふたつのピークがあるみたい。


お山へは、まず、点滅信号のあるガソリンスタンドの手前を、
 左折し、日浦橋を渡ります。

 渡橋後、左折。

 写真の分岐、右の坂を上ります。

 お札が指してある右カーブ。
ここには入山を規制するチェーンの柱があるので、もしかすると、クルマじゃ入れない日もあるかもしれません。

ご注意下さい。


谷の中へ入って行きます。


写真の丁字路をくぃっと左折します。

 カーブ内側にあった小さな祠。

 山頂手前まで入山できます。

 峠みたいな場所で停車。


右に下る道はありますが、山頂は当然、まっすぐ、上り坂へ。


右の斜面に、愛媛県の労働金庫が創立45周年を記念して植樹した旨が書かれた看板がありました。


幅1mくらいの道を歩いて行きます。


登り切った場所は、3つの小尾根が分かれる、最高地点脇の中心地。

すぐ左に最高地点がありましたが、まず、一番南にあるピークへ行ってみました。

 尾根をたどって南へ。
 目指す南のピークは、
 林の中。

平坦地はそんなになくて、砦があったとしても、建てられるのは見張所くらいかなぁ。


木々のブラインド越しに国道や集落が見下ろせました。

 振り返って。

 戻って、さっき、横をスルーした最高地点へ。


中心地に戻って見ると、ちょっとだけ高く、山頂はすぐそこ。


加名山の最高地点、標高は375m。

 国土調査の杭があるだけです。
小屋が建つほどの平らなところはまったくありません。

北側斜面は思いっきり伐採してあって、このお山で一番、見晴らしがききます。

北側の山並み。


東に延びる尾根にも行けそうだったので、足を延ばしてみました。

 ここの方がちょっと広い。


以上、古城山の山頂でした。


スクーターを駐めた峠みたいな場所に戻り、下山しようと支度してたら、
 お地蔵様が目に入りました。
祠が倒壊しちゃったみたいで、屋根も崩れ落ちてました。

右のお地蔵様は胸元で割れちゃってました。

雨ざらしもかわいそうなので、お地蔵様を立て直し、後ろのタケにトタンを立て掛けて屋根にしておきました。

国道が開通するずっと以前、市内や伊台、道後を結ぶ道があちらこちらにあり、
峠のような場所には必ずお地蔵様がいて、旅人の往来を見守っていました。

忘れ去られた道に置き去り状態のお地蔵様を、上総地蔵堂みたいにまとめてあげられたらいいのにね。


下山は、元来た道を戻ります。


つづく。

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17:25:01 | コメント(回答)(0) | page top↑
日浦の城山へ行こう! 2 二之森へ行こう! 2
2017 / 03 / 12 ( Sun )
今回は、大まかに云うと日浦地区、正確には神次郎町と梅木町にまたがる二之森の山頂からの下山風景です。

実は、この下山ルートが正しく楽な登山ルートでした。

二之森、二之森城跡に行かれたい方は、これから紹介する下山ルートをおすすめします。

でも、下山向きに撮った写真での紹介になります、ご勘弁下さい。

 山頂から北へ、尾根に沿って下りました。
少しの間、灌木が生い茂り、歩きづらいですが、尾根地形に沿って歩けば分かりやすい。

 写真では分かりづらいですが、
少し平らなところがありました、曲輪の跡だと思います。


その下には、さらに細長い比較的、平らな土地があり、ここも曲輪の跡のように見えました。


なだらかな尾根に沿って、道として拓かれただろう細い平地が北へ延びています。

 山頂方向を振り返って。

 平地がもうひとつ。

 尾根に沿って林の中へ。

 尾根筋をたどる道が右に下る場所。

 再び、山頂方向を振り返って。

尾根筋から右に下る道を降りていくと、

 登山口からまっすぐ登ってくる林道と出会いました。
林道を右に下れば登山口へと降りられます。

 山頂方向を振り返って。
やっぱり、林道を登ってきた方が全然、楽だったなぁ。

 林道を下ります。


道なりに下りますが、途中に数カ所、小さな分岐があるので、よくよく地形を見て間違えないように。

 登山口に無事、戻れました。


さて、次のお山へ。

その前に寄り道。

ここに来る途中、道の上から、上総集落で見かけた、
 神社を訪ねてみることにしました。

 上総集落の下まで戻り、集落への分岐に入ります。

 最奥の梅木町は無人っぽかったけど、
上総は国道にも近いので、何軒か生活されてます。


細い石を5本渡して橋にしてます。


石段を上がり、鳥居をくぐり、また石段を上がると、
 境内です。

河内神社

 昔、梅木町と上総町の中間辺り「古宮」というところにあった両部落共同の氏神「河内八社大明神」を二つに分け、それぞれの部落でお祭りしたことに始まると伝えられている。
創建時期は不詳であるが、ご神体に寬成10年(1798年)と記されており、今から約210年以上前のことと考えられる。

 河内神社の建つ場所は「的場」という地名が付けられている。
その昔、ここで悪疫退散や五穀豊穣を祈り、弓を射る神事(弓祈祷)が行われていたと伝えられている。

 明治42年(1909年)、藤野町「天一神社」に併合されるも、今まで上総地区の鎮守として、ここに住んでいる人々やかつて住んでいた人々によって大切にお祭りされている。

 境内には、三輪田米山書の「戦捷記念」の石碑が建つ。

平成26年2月 上総町内会・五明地区まちづくり協議会




 河内神社のお社。


2礼2拍手1礼、無事、お山歩させていただきました…。

 ささやかな境内。


松山のローカルな書家・三輪田米山の筆跡の石碑。

 さあ、次のお山へ。

来た道をずんどこ、ずんずん、下って、上総橋を渡って左折し、今治方向へ。


国道317号線に復帰、日浦トンネルの今治側口へ。


つづく。

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14:08:04 | コメント(回答)(0) | page top↑
日浦の城山へ行こう! 1 二之森へ行こう! 1
2017 / 03 / 12 ( Sun )
「お山へ行こう!」番外編。

今回は、松山市民の大切な水源、石手川の源流域に位置する日浦地区へ。

ほぼほぼお山ばかりの日浦地区。

お山歩場所には事欠かない地域ですが、いくつか、中世城址を山頂にいただくお山があります。

今回は、城跡も巡りながらのお山歩です。


道後、石手寺、奥道後、石手川ダムと国道317号線を石手川に沿って東上。

国道317号線は水ヶ峠トンネル開通以来、今治やしまなみ海道と松山を結ぶ幹線道路として、
昼も夜もひっきりなしにクルマが往来しています。

まさに現代の今治街道。

僕が子供の頃は、水ヶ峠の手前までしか開通してなくて、道幅も1.5車線くらいしかありませんでした。

友達と数人で、市内から水ヶ峠の行き止まりまで、自転車で行ったことがありました。

小学生の頃だったから、日浦なんて校区外の校区外、もう、大冒険でした。

石手川ダムから奥は、のどかな山村が点在し、あふれるほどの自然に包まれ、
鳥の声と川のせせらぎ、虫の声、風の音、聞こえてくるのも自然由来ばかり。

とにかく静かで、クルマなんて滅多に来ないから、子供だけでワーキャー、ふらふら走っても安全でした。

それがいまでは、まず目に入るのはアスファルトとコンクリート、ポイ捨てゴミ、聞こえてくるのはクルマの騒音。

便利になったのはいいことだし、騒音の一部は僕も荷担してるけど、
行き止まりだった頃を知る自分としては、ちょっと複雑な部分もあったり、なかったり。


さて、以前から、日浦地区のお山は気になってました。

現代の地図には山名がまったく載ってないお山ばっかりですが、明治期の地図にはたくさんの山名が記載されています。

車窓から見えるお山にはほとんど、名前が付いてると思っていいくらいです。

そのなかに、その昔、城や砦があったとされるお山がいくつかあります。

まずは、市街地から一番近いお山、二之森へ向かいます。

 ここにあります。

二之森は、神次郎町と梅木町にまたがっていますが、ルート的には上総町からアクセスできます。

神次郎も梅木も上総も、そんな町名、知らな~いって人も多いと思いますが。


開通はもう11年前になるんですね、2006年に開通した日浦トンネルへ。

 トンネル手前から左へ、旧道へ入ります。


写真中央のお山が二之森です。


国道だった頃に設置された日浦地区の案内板がまだ残ってます。

 旧道を進むと、「上総橋」バス停が目に入ります。


バスはまだ旧道を経由していて、でも、午前と午後の1便ずつしか来ませんが。

 その向かいにある上総橋を渡ってお山へ向かいます。


いつの間にか橋、キレイに架け替えられてます。


橋を渡ったら右折し、山道へ。

 枯れ葉が多く、スリップ注意、落石もあり。

5分ほど、カーブ連続する狭い坂道を登れば、
 上総町集落入口。

 左の道を進みます。
右の道は、集落の生活道。


右に田畑や数軒の民家を見ながら、奥へ。

 解説板のある神社もあるみたい、あとで寄ってみよう。


集落の一番上にある家の屋根が右に見える辺りに、お山への分岐があります。

 コンディションが悪い坂道を上り、尾根の上へ。

伐採されて日当たりのいい尾根の上、いくつもの山道が分岐しています。

普通車なら、この辺りまでかな。


真新しいお堂がありました、上総地蔵堂と名付けられていました。

 お山へは、尾根を右折し、ふたつある道の下の道へ。
舗装された道じゃない方へ向かいます、コンクリート舗装された道は、山上にある畑への道です。


林の中に入ると、路面はコンクリート舗装に戻りますが、古く、がたがたです。

左は竹林、右の林は近年、伐採された様子で、日が差して明るいです。

 登山口に到着です。
道の左には小さな沢が流れ、木漏れ日もわずかな小さな谷間です。

この先、タイヤが滑り始めたので、スクーターもここまで。

ここで道は丁字路に分かれます、まっすぐ登る道と、左に分かれる小径とに。

さて、下山後に分かった正しいアドバイスを。


このまままっすぐ、道なりに登って行った方が楽で、正解です。

家で地図を見ていたときも、そう登っていこうと思っていたのですが、
 左に分かれる小径が山頂まで続いてるように見えて、行ってしまいました。


山仕事のために拓かれたようにも見える道。


倒木もあったり、路肩が崩れていたり、しばらく放置されてる小径を登ると、

南斜面の明るい場所に出ました。


人工的なものもあったので、なにかの畑、果樹かなにかを栽培してた場所だったのかも。

道はここで終点となりました。

引き返してもよかったけど、地図を見ると登れない距離、高低差ではなかったので、

林の中へ分け入り、直登することにしました。

多分、季節が夏で、草がぼーぼーに生えていたら、きっと引き返して正しい道を進んでいたと思います。


やがて結構急な斜面となり、汗をかきました。

 伐採された丸太や灌木が邪魔し、足下はずるずる滑るしで、15分くらいかかりました。

この斜面に城跡っぽい地形は一切ありませんでした。

石垣に使われてたかもしれない、手頃な岩は多少、ごろごろしてたけど。


ようやく、山頂の南端に着きました。

山頂部分は南北に長い楕円形で、平坦なところはそれほどなく、
北へ少し進むと、

地図上に471mの標高点が打たれた二之森山頂です!

 一番高いところで育つ木。


松山市の埋蔵文化財包蔵地図には、「ニ之森(ふたつ森)城跡 城館跡 中世」と記載されています。

正確な地形図ではない明治期の地図『風早郡地図 地誌付』には、「二ッ森山」とあります。

愛媛県教育委員会発刊の『愛媛県中世城館跡』には、ニ之森城は縄張り規模 55×22mとありますが、詳細はありません。

 山頂にも石積みに使ったのかもしれない、岩が露頭。


正しく楽なルートで下山した様子は次回。

つづく。

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