埼玉県秩父市大滝山中で、東京都勤労者山岳連盟が行っていた沢登り教室中の参加者が滝壺に転落し死亡し、
救助要請を受け、現場に急行した県の防災ヘリコプターが墜落、5名が亡くなった後、
事故を取材中だった日本テレビの記者が沢で命を落とす3次遭難まで起きた事故から昨日で1年を迎えました。
東京新聞から、県防災ヘリ墜落から1年 人命救助の思い引き継ぐ
秩父市の山中で昨年七月、山岳遭難者を救助中だった県防災ヘリコプター「あらかわ1」が墜落し、五人が死亡した事故から一年たった二十五日。
亡くなった救助隊員の同僚らは癒えぬ悲しみに暮れつつ、県内各地の追悼の催しで「人命救助の思いを引き継ぐ」と決意を新たにした。
■各消防本部
「一緒に仕事するつもりだったので、まだ受け入れられない」。
県防災航空隊に派遣され、事故に遭った狭山市消防本部の中込良昌さん=当時(42)=について聞かれると、同僚だった鈴木昌信さん(37)は肩を落とした。
中込さんは本来なら今年四月に航空隊から戻り、現場で部下を指導していたはずだった。
墜落時刻の午前十一時八分、黙とうをささげた鈴木さんは「中込さんがこれからしたであろうことを自分がやる。
救助に対する思いは引き継ぐから」と心の中で約束した。
秩父市の秩父消防本部では、同僚ら約百人が講堂に集まり、殉職した隊員に祈りをささげた。
浅見真一消防長は「これ以上悲しくてつらい事故はないが、悲しみをしっかりと胸に刻み、乗り越えなくてはならない」と訓示した。
■県防災航空センター
川島町の県防災航空センターには、上田清司知事や県防災航空隊、県内十七消防本部の隊員ら約九十人が参列。
五人の遺影が飾られた献花台に向かって黙とうした後、白い菊の花を一輪ずつ手向けた。
上田知事は「死を無駄にせず、安全な防災体制作りにまい進する。
『防災の守護神になってください』と祈りながら手を合わせた」。
県からヘリの運航の委託を受け、事故で機長と副操縦士を亡くした「本田航空」の広瀬文郎社長は「早いような、長いような一年だった。
ご遺族の心の傷は癒えていない様子だった」と話した。
■ヘリ運航・捜査
防災ヘリ二機を所有していた県は事故後、運航を停止。
昨年十二月に山岳救助時のガイドラインを整備し、今年から一機の運航を全面的に再開した。
新たなガイドラインでは、ホバリング(空中停止)中のエンジン出力が最大出力の85%を超えれば、救助活動を休止することなどを明記。
新たな条例も制定し、悪天候などで危険な場合、ヘリを引き返させることを義務化した。
県が約十五億円で一機購入し、総務省消防庁の貸与も受け、本年度末までに三機態勢になる。
だが、新たな二機は現有機と機種が異なり、広瀬社長は「操縦ライセンスも違う。
パイロットの訓練をしっかりとやりたい」と誓った。
事故原因については、秩父署捜査本部が事故後、本田航空を業務上過失致死容疑で捜索して県の関係先からも資料を押収し、捜査を続ける一方、国土交通省運輸安全委員会も調査を進めている。
もうひとつ、ちょっと長いですが。
朝日新聞から、救助の防災ヘリ墜落あす1年
◇難しい当時の状況再現
秩父市で遭難者の救助中、県の防災ヘリが墜落して5人が死亡した事故から25日で1年を迎える。
原因究明が進む一方、事故防止への取り組みも強化されている。
二度と事故を繰り返さないために――。
関係者の思いは共通している。
◇県警・運輸安全委 調査は長期化か/事故原因
事故は昨年7月25日午前11時ごろに起きた。
秩父市大滝の山中で、滝つぼに転落した登山者の女性(当時55)を救助中、県防災ヘリが墜落。
機長や県防災航空隊員ら計5人が死亡した。
事故当時、ヘリは上空30メートルの位置で停止(ホバリング)し、救助隊員2人をロープで降ろす作業をしていたという。
なぜ、事故は起きたのか。
県警や国土交通省の運輸安全委員会によると、ヘリは何らかの理由でバランスを崩し、右斜面の木に接触。
弾みで反対側の斜面に激突し、沢に転落したとみられている。
墜落現場はV字形の険しい渓谷。
機体は事故から1カ月半後の9月中旬にようやく回収できたが、激しく破損していた。
原因究明の鍵とされるフライトレコーダー(飛行記録装置)やボイスレコーダー(操縦室音声記録装置)は搭載していなかったという。
これまでの調べでは、機体には不具合はなく、整備にも問題はなかったという。
バランスを崩した原因として、ヘリ自身が起こす下向きの風で機体を落下させてしまう「セットリング・ウィズ・パワー」が考えられている。
しかし、事故当時の状況を再現することは難しく、調査の長期化を示唆する関係者も少なくない。
運輸安全委は当日の気象状況に着目し、調査を進めている模様だ。
運輸安全委関係者は「もう少し高い位置でホバリングしていれば事故は起きなかったかもしれない。
現場の気流や詳しい気象状況は分かっておらず、調査がまとまるにはまだ時間がかかる」としている。
県警の捜査関係者は「まだ機体回収から1年たっていない。
慎重に捜査を進めたい」と話している。
◇ガイドライン策定 現場状況の把握も/安全対策
墜落事故を受け、再発防止に向けた安全対策も進んでいる。
県は昨年12月、「山岳救助活動ガイドライン」を策定した。
これまでヘリの運航は、操縦士が自らの経験をもとに判断することが多かったが、具体的な数値を示し、運航の可否を決める仕組みになっている。
例えば
▽風速が毎秒15メートルを超える場合は、ヘリからワイヤでの救助作業を中止する
▽ホバリングの際は、障害物から水平方向に10メートル以上、下方向に6メートル以上離れていることを確認する
――など。
ガイドラインに基準を明示することで、一緒に活動する救助隊員らが安全性を理解できるという狙いもある。
また、出動する前には、現場に近い山岳関係者に気象状況などを聞き、安全に運航できるかどうかを確認することにした。
両神山や雲取山など、主な登山場所8カ所の山小屋や土産店を厳選し、協力を依頼したという。
一方、隊員らは独自に救助活動の見直しを進めている。
ホバリングの時間を短縮するため、救助の手順を変更。
ヘリに載せる荷物を減らした。
事故につながりかねない「ヒヤリハット」事例も報告し合っている。
近県との相互応援協定も成果を上げている。
事故後、県の防災ヘリは約3カ月間、運航できない状態が続き、山岳救助は今年1月に再開した。
その間、協定に基づき、群馬、山梨県などに出動要請し、活動してもらった。
◇昨年の秩父山系 60件104人で最悪/遭難事件
防災ヘリ事故の発端となった遭難も含め、昨年1年間に秩父山系で発生した遭難は60件、遭難者数は計104人に上った。
発生件数、遭難者数とも記録の残る1991
年以降で最悪となっている。
遭難の多発を受け、今年6月には県警地域課が呼びかけ、「山岳遭難防止に関する担当者会議」を、県警山岳救助隊が設置されている秩父署で開いた。
参加したのは警察・消防をはじめ、県や秩父郡市の5市町、秩父山岳連盟など23機関・団体に上り、「これだけの関係者が一度に集まったのは初めて」とされる。
遭難を各機関・団体が連携して防ぐのが目的で、意見交換したという。
また、会議の参加者らは今月、登山口などで遭難防止を呼びかけた。
さらに発生した遭難などの「山岳情報」を共有化するため、山岳救助隊が関係機関に情報発信を始めている。
今回の事故では、「遭難と防災ヘリ事故は別問題」との見方があるなかで、秩父山岳連盟の浅見豊会長(77)は「遭難者の救助者が犠牲になったのであって、別問題ではない。
登山人として申し訳ない。
遭難防止に力を尽くしたい」と繰り返してきた。
同連盟は「早い時期に登山の基本を身につけさせたい」と、数年前から県内の小中学生の登山教育に取り組んでいる。
◇震災関連で22回出動/防災ヘリ
県の防災ヘリは、東日本大震災後でも活躍した。
発生当日の3月11日から4月5日までの出動は22回。
救援物資の搬送のほか、林野火災で消火活動し、火力発電所での救助活動なども行ったという。
県内での活動では例年7~8月、山岳遭難者の救助が目立つ。
昨年は13件で計15人に上り、そのうち7人が死亡した。
登山ブームを背景に、秩父山系などへは今年も多くの入山が予想されるため、救助関係者は警戒を強めている。
◇「防げる事故、起こしてはいけない」/県防災航空センター所長
川島町の県防災航空センター。
事故当日、県防災ヘリはここから約60キロ離れた現場に飛び立った。
今月20日、センターの一室に献花台が置かれた。
亡くなった隊員の戸張憲一さん(当時32)と中込良昌さん(同42)の遺影に、隊員のOBらが手を合わせていた。
同僚の竹内光男隊長(48)によると、戸張さんは使命感が高く、中込さんは明るいリーダー格だったといい、「隊員同士で2人の思い出話を時々、語り合うようにしています」と話す。
事故後、一部の隊員に体調不良などの「惨事ストレス」の症状がみられたが、カウンセリングなどを通じて回復したという。
同センターの加藤信次所長は「山岳救助はどんな場合でも危険で、困難であることに違いはない。
防げる事故は何としてでも起こしてはいけないのです」と話していた。
3次遭難を起こしてしまった日本テレビ側もこの日に合わせ、調査報告書を公表しています。
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埼玉県秩父における取材事故 調査報告(pdfファイル)取材に出発する前日、“沢登りの危険性”を指摘する別の企画が検討されていて、
そのために沢に入ったのではないかとみられるそうですが、
亡くなった二人以外に誰もいない場所で起きた事故なので、二人同時に溺死した原因は分からないみたいです。
あらためて、合掌。
明日は我が身。
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