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語り継ぐと云うこと
2011 / 08 / 08 ( Mon )
二度と起きて欲しくないと誰しもが強く心に想いながらも、
まるで死神の鎌が振り落とされるように、
この夏も連日のようにお山で死亡事故が起きています。

昨日、奥穂で起きた落石事故など、被害者が受け身でしかない事故を除き、
道迷い、滑落、転倒、疲労凍死など、山岳遭難は原因と結果がはっきりしているものも少なくありません。

人間は過去の誤ちから学ぶことができます。

ひとつの事故は教訓となって、いつか誰かを守ります。

登山靴はこんなのがいいよ、下着は綿はダメだよ、岩場ではストックはしまおう…

そんな些細な事柄だって、多くの失敗例から導き出された教訓と云えるでしょう。

(自然をなめ、己を過信して他人の小言に貸す耳を持たず、過去の誤ちから学ぶことをせず、
 教訓を受け入れないままに命を落とし、山をなめちゃいけないって教訓に自らがなってしまう人もたまにいるけど)


信州毎日新聞から、

「聖職の碑」 伊那で校長遺品展

 小説「聖職の碑(いしぶみ)」で知られる1913(大正2)年の中央アルプス駒ケ岳の遭難で、中箕輪尋常高等小学校(現箕輪中学校)の登山を率い、死亡した赤羽長重(ちょうじゅう)校長の遺品展が、伊那市創造館で開かれている。
遭難時に着用していたとされるサングラスやシャツ=写真=を展示。
人となりや教育方針も紹介している。

 同館によると、赤羽校長は県内で教壇に立つ一方、文学や社会政策の通信教育を受け、新しい知識を得ようとしていた。
遭難した登山では、携行品など登山計画を書いた冊子を子どもたちに配布。
展示された冊子には、登山を通して自然や道徳を学ばせようとしていたことをうかがわせる記述もある。

 捧(ささげ)剛太館長(52)は
「100年前であっても、赤羽校長は登山の安全に気を使っていた。
その人となりは現代に通じる部分がある」
と話している。

 9月4日まで(火曜休館)。
午前10時~午後5時。
入場無料。


新田次郎が『聖職の碑』を著す元となった大量遭難事故は、
夏の盛りの8月、集団登山で中央アルプス・木曽駒ヶ岳に登った生徒や教諭らが、
当時の気象観測技術では予測できなかった台風の接近で激しい気象変化に見舞われ、
一縷の望みをかけてたどり着いた山小屋が基礎のみを残す無残な姿となっており、
雨合羽や拾い集めた小枝で間に合わせの屋根を設け、身を寄せ合って風雨を避けていたが、
生徒のひとりが疲労凍死したことがきっかけとなり、パーティが瓦解するに至り、
個々が無闇に下山を始めたため、吹きさらしの稜線上で赤羽校長含む計11人が命を落とすこととなったものです。

小説『聖職の碑』はタイトルそのままに映画化され、校長役は鶴田浩二が演じました。
“聖職”は凍える生徒に自らの衣服を分け与えた校長の姿を、“碑”は遭難現場に設置された遭難記念碑を表しています。

記憶に新しいトムラウシの大量遭難も夏の最中の疲労凍死でしたね。
あのツアーの参加者らがもし、『聖職の碑』を読んだり見たりしていたら、結果は変わったものになっていたかもしれませんが、
『聖職の碑』の教訓はトムラウシでは活かされなかった、もしくは活かしきれなかった、ということでしょう。

事故の教訓が生きる伊那・木曽地方の中学校では、いまでも木曽駒ヶ岳に慰霊登山もかねた集団登山が続けられています。
というか、長野県内じゃ、登山遠足自体、珍しいものじゃありません。

残念ながら、先生が引率中に児童や生徒が遭難事故に遭う事例がほかにないわけではありません。

それでも続けられているのは、子供の頃に登山遠足を経験している親や先生がいて、
過去の教訓からリスクを学び、危険を避ける方法を実践すれば、
お山は楽しい思い出をくれる場所だって知っているからでしょうね。


ちなみに、木曽駒の大量遭難直後は学校サイドは激しいバッシングにさらされ、
亡くなった校長先生の遺族でさえ、石を投げられたり、亡くなった生徒の遺族に罵倒されたりがあったそうです。

また、山小屋が廃屋状態だったことが大量遭難を決定づけましたが、
登山者が山小屋の壁や屋根の板まではがして焚き火にくべてしまうようなことは、
実は戦後しばらくまでよくあったことなんです。

いまじゃきれいに建て替えられた面河の愛大小屋も、昭和30年代頃の記述にはやはり無残な有様で登場します。
備品の盗難は再々で、薪にされた壁や天井は穴が開きまくりだったそうです。
「昔はよかった…」こともあるけど、現代の方がよっぽどマナーがいいこともいっぱいあります。


もうひとつ、こっちは初耳なお話。

朝日新聞・長野から、

100年前に噴火で遭難死の宣教師悼む

 1911(明治44)年8月15日、浅間山が噴火し、一人の外国人宣教師が亡くなった。
多くの宣教師が夏を過ごした軽井沢でいま、100年前に起きた悲劇を知る人はほとんどいない。
このほど軽井沢町の日本聖公会ショー記念礼拝堂で開かれた「軽井沢ショー祭」で、牧師の井柳福治郎さん(80)が、浅間山登山中に35歳で亡くなったJ・E・ヘール氏について講演した。

 米国生まれのヘール氏は1878年に宣教師の父に連れられて来日した。
大学で学ぶためいったん帰国したあと再来日し、大阪や三重で布教活動をした。

 1911年夏、避暑のため軽井沢を訪れ浅間山に登ったヘール氏は山頂付近で噴火に遭遇、噴石の直撃を受けて亡くなった。
当時の東京日日新聞は「ヘール氏は信仰篤き紳士で(中略)1500人の同胞在留国人の同情のもとに仮葬儀を営む」などと報じている。

 ヘール氏の父が創設した四日市教会(三重県四日市市)では、ヘール氏の悲劇が長く語り継がれてきた。
同教会で牧師を務めた井柳さんは
「ヘール氏が遭難したときに、軽井沢の多くの方が捜索や救助にあたってくれた。
一度、感謝の気持ちを伝えたかった」
と語った。

 ヘール氏について調べた軽井沢ナショナルトラスト会長の中島松樹さん(76)は
「町内に別荘があったことはわかったが、噴火で亡くなったことは、だれも知らなかった」
という。

 宣教師のアレキサンダー・クロフト・ショーが避暑地として軽井沢を見いだしてから今年で125年。
今年で12回目となるショー祭には約150人が参加、ショー氏をはじめとして軽井沢の発展につくした多くの宣教師や日本人の功績をしのんだ。

 日本聖公会中部教区の渋沢一郎主教はあいさつで、
「東日本大震災の影響で節電が求められているが、便利に慣れすぎた今の生活に対する警鐘かもしれない。
質素な生活を送った宣教師のライフスタイルを見直す必要がある」
と語った。


浅間山は数年おきに度々噴火しています。

現在の噴火警戒レベルは『1』で、火口から500m(前掛山)までの登山が可能となっています。

溶岩が奇岩の体をなす中を遊歩道で巡り歩くことができる「鬼押し」が誕生した天明の大噴火の際は、
溶岩流と火砕流によってできた天然ダムが崩壊し、吾妻川下流域で1500人が亡くなりました。

でも、普段のおとなしい浅間山は裾野を広げた姿が富士山のように美しくて、
八千穂のスキー場にいた頃は、毎日のように眺めてもその美しさは飽きませんでした。

「ウチの家から見える浅間山が一番よ!」なんて、自慢してた佐久出身のバイト仲間もいたなぁ。

軽井沢もほんの目と鼻の先。
 こんな感じ。

軽井沢が別荘地として発展したのは、外国人が避暑地として目を付けたことが大きく影響しています。

浅間山で亡くなった宣教師も避暑で軽井沢を訪れていたとのこと。

1900年代の初め頃は毎年のように、というかずっと噴火中だったので、登った方が悪いんですが、
平成19年から気象庁が始めた噴火警戒レベルみたいなものは当時はなかったでしょうから、
姿のいい浅間山に魅せられ、物見遊山な感じで登ってしまったのかなぁ。

当時の噴火口周辺には噴石を避けるためのコンクリート・サイトもないだろうし、
走って逃げるくらいしか避ける術はなかったことでしょう。

遭難した宣教師を多重遭難覚悟で救助した地元民はすっかり忘れてて、
でも、助けられた側は100年経っても語り継いでるなんて、なんか素敵だなぁ。


…にしても、軽井沢、また行きたいなぁ。

日差しは軽井沢だって強いけど、木陰がヒンヤリしてて快適なんだよねぇ~。

軽井沢から東にちょっと行ったとこの碓氷峠は「峠の釜飯」の発祥の地。
釜飯、また食べたいなぁ (^_^;)
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