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ピンク色のサクラ「陽光」は愛媛生まれ
2013 / 03 / 27 ( Wed )
3月はもう忙しくて、四国じゅうをお仕事で飛び回ってました。

おかげで筋肉痛で目覚める毎日。

月末まであとちょっと、がんばらんといかんわぃ!

4月に入ったら一息つくから、ゆっくりお花見に…、と思ったら、
四国のサクラも記録的な早咲き。

高速沿線の サクラ もあっという間に見頃を迎えました。

2、3日前に行った佐田岬の方なんて、町場のサクラはもう満開。
山の中に点在するサクラも色づいて、1週間前まで冬枯れてたお山が途端に華やかに。

やっぱり、南予の方は温かいんですね。
ソメイヨシノが満開なら、赤みが濃い山桜はとっくに散って、葉桜状態。

一方、中予・東予は、満開のようでも、まだまだつぼみが残ってる。

桜三里も開花。
石鎚ハイウェイオアシスのサクラも満開じゃないけど、お花見するには全然OK。

香川の方もソメイヨシノがいい咲き具合。


そうそう。

高速走ってたら、とっても鮮やかなピンク色のサクラが結構咲いてて、
桜三里のパーキングとか、そのサクラに縁取られて、とっても華やか。

色濃いピンク色が春らしさ全開!

白っぽいソメイヨシノより、僕は好きだなぁ~と思ってたら、
そのサクラについてのニュースを見つけました。

で、調べてみたら、あれは「陽光」って名前で、
愛媛県の人が品種改良したサクラなんだそう。

それも、太平洋戦争の鎮魂から生まれた、永遠の平和を祈るサクラだったのです。

まずは、陽光花咲く砥部の河原のニュースを、愛媛新聞から、

色鮮やかに「陽光」満開 砥部・赤坂泉公園

大ぶりで色鮮やかな花が咲き誇る「陽光」<br>22日午後、砥部町重光 春、本番―。
愛媛県砥部町重光の赤坂泉公園で、早咲きのサクラ「陽光」が満開になり、鮮やかなピンクの花が園内を彩っている。
 重信川の伏流水が流れ込む同園には160本のサクラがあり、うち90本が陽光だ。
22日はどの木も満開で、大ぶりの美しい花が咲き乱れていた。
 訪れた人は弁当を広げて談笑し、花見を満喫。
桜並木の下を夫婦でサイクリングした同町高尾田の無職古田美恵子さん(66)は
「陽光を見ると、寒い冬をようやくくぐり抜けた気がして心が弾む」
と笑顔を見せた。



ピンク色の「陽光」桜は、愛媛県の故・高岡正明さんが品種改良されたサクラです。

華やかに咲く陽光ですが、その裏には太平洋戦争の悲劇を発端とした誕生秘話がありました。

詳細は、戦争のない世界を目指して陽光の苗を世界中に贈る事業をされてる、
日本さくら交流協会」のHP上にある、
高岡さんの娘さんが投稿された「平和のさくら「陽光」誕生秘話」が詳しいですが、
要約すると…。

戦前から青年学校で教師をされてた高岡正明さん。

当時はマスコミすら軍国主義を煽動する時代。
学校では愛国主義を教えるのが当たり前の世の中。

高岡さんは、当時の日本人の多くがそうであったように、
日本が戦争に負けるはずはないと心から信じて、300人を越える教え子らを見送りました。

けれど、戦争が激化すると次々に、送り出した教え子らの戦死の報せが届きます。

戦後、高岡さんは、自責と後悔の念にさいなまれ、
毎日泣きながら自分を責める日々が続いたそうです。

ちょっと前にやってた朝の連ドラなんかでも、
愛国主義者だった先生が日本が敗戦した途端、嘘つき、悪者扱いにされ、
先生自身も時代に流されて愚かなことをしたと自身を責め続ける姿が描かれてました。

石を投げつける村人だって、日本は負けないと信じ込まされてた一人なんだけど、
誰かを悪者にしなきゃ、怒りや哀しみの感情をどうすることもできなかったんでしょう。

高岡さんは、戦場へ旅立つ教え子たちと記念写真を撮ったサクラの木の前に立ったとき、
「二度と戦争のない平和な世界は自分たちの手でつくらなければならない。
そのためには生徒一人一人の命の証であり平和の象徴でもあるさくらをつくり、
世界に広めてゆくことが自分の残された人生の最大の仕事だ」
と決心。

ならば、世界中、どんなところでも花を咲かせられる強いサクラを作る必要があると、
私財を投じて日本中を旅してサクラを訪ね歩き、
旅先から届く様々なサクラを朝から晩まで研究する日々が始まります。


ちなみに、松山城もそうだけど、全国的にサクラの名所になってる城址って多くて、
ああ、昔のお侍さんもサクラが好きだったんだなぁって思いがちですが、
実は、(津軽弘前城など一部をのぞき)ほとんどは明治維新以降に植樹されたものです。

よく植わってるソメイヨシノ自体が江戸末期から明治初期の生まれだし、
明治時代に撮られたお城の写真を見るとサクラが撮ってないことがほとんど。

明治維新により、お城が二束三文で競売にかけられたとき、
庭木も切り倒されて薪にされ、荒廃した跡地の復興にサクラの植樹がよく行われました。

また、日清・日露の戦争を体験した日本は軍部が台頭し、
世間的にもサクラの潔く散る姿がもてはやされるようになり、ますます、サクラは植樹されます。

現在、日本=サクラのイメージですが、その原型は、
♪貴様と俺と~は~ 同期の桜~ と軍歌でも歌われるように、
戦争と結びついた悲しい歴史があったりします。


さて、教え子らの戦死した地を訪ね歩いて供養する余生を望んでいた高岡さんが、
新しいサクラの品種改良に没頭すること、すでに二十数年…。
(言葉にするとあまりに一瞬すぎるけど、
赤ちゃんが社会人になるくらい、長い長い年月をかけて…)

「大島桜」と「江戸彼岸」から生まれた「天城吉野」と、
鎮魂の旅の途次に出会った沖縄の「寒緋桜」とを交配し、
病気にも強く、厳しい気候にも耐え、みたこともない大輪で紅色の新品種を生み出すことに成功します。

「陽光」の名は、

「天地に恵みを与える太陽」

の意味から名付けられたそうです。

農林水産大臣からサクラとしては全国で初めて種苗登録147号として登録もされました。

その後、高岡さんは、陽光の量産化に取り組み、
92才で亡くなるまで、世界中に苗木を無償で贈り続けました。

その数は5万本を越えるとか。

先日、新しいローマ法皇を選ぶ選挙が行われたバチカン市国の法王庁の庭にも、
陽光は花を咲かせているそうですよ!

正明さんが亡くなったいまも、年間3000本が世界中に贈り続けられています。

苗木を贈る事業や植樹事業を行っているNPO法人「日本さくら交流協会」の本部も愛媛。

松山の姫原にあって、応援をして頂ける方々を募集しています。

詳細は、日本さくら交流協会のホムペをごらん下さい。


さてさて。

高速道路沿い、猛烈な速さで通り過ぎる車の車窓からもはっきりとその美しさが目に焼き付く「陽光」。

あの色鮮やかなピンク色のサクラの誕生の陰に、こんな裏話があったなんて驚きでした。


周桑にあるウチのお墓に、ランドマーク代わりにサクラでも植えようかと思うことがあって、
こんな話聞いちゃうと、もう、陽光で決まりだなぁ。


陽光は石手川の河原とか身近な場所でも結構見ることができます。

ソメイヨシノよりちょっと早咲きみたいで、いまが盛りと咲いています。

今日は残念な雨ですが、雨が上がったら、陽光を探しに出かけたいと思います。

花が散った後も、落ちた花びらで地面がピンク色に染まってしばらくきれいなんですよ。
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