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山口から帰ってきました 3
2014 / 02 / 09 ( Sun )
下関でのお仕事最終日の朝、早起きして、またお散歩しました。

初日に行けなかった、下関港国際ターミナルへ。
 下関駅同様、陸橋で繋がってます。
途中、韓国の人っぽい旅行者とすれ違いました。
 韓国、中国行きの船が出ています。
 きっぷ売り場は2階。
どこ行きの船を待ってるのか分からなかったけど、待合ロビーには早朝にもかかわらず、旅行者の姿がちらほら。
 税関検査入口。
あの入口から先はパスポートが必要です。

関門海峡はとっても狭く、潮流も激しい海上を頻繁に船が往来しています。
この日の下関は曇り空の下、海峡には濃霧が立ちこめ、対岸の門司はかけらも見えませんでした。
濃い霧の中からは、往来する船の霧笛が度々、聞こえてきました。

実はこの日、ちょうどお散歩してた時間帯に、貨物船同士が衝突する事故が起きていました。
事故現場は関門橋の方、「早鞆の瀬戸」と呼ばれる関門海峡の最狭部。
僕がいた港付近からは遠い場所だったので、全然気がつきませんでしたが、
海上は事故が起きてもおかしくない、濃霧でホワイトアウトなお天気でした。

ターミナルを出た後、陸橋を戻って国道9号線沿いの竹崎交差点へ。
 陸橋から見た大歳(おおとし)神社と、
 竹崎公園。
まずは竹崎公園に降りて、幕末の志士・高杉晋作と奇兵隊をテーマにしたモニュメントを見に行きました。

 これがそのモニュメント。
名称は「風の予言者 高杉晋作と奇兵隊」。
「幕末の風雲」をつかんだ高杉晋作と、彼を支える岩は奇兵隊士を表しているそうです。
顔はあんまり晋作っぽくないかな。

下関初日、公園の中を突っ切ってホテルに帰ってて、
でもすでに夜道だったから、こんな像があったこと、全然気づかず、スル~。
ホテルで下関の見所などを検索しててやっと気がついた次第です。

 次は大歳神社へ。
遷座当時は123段あった石段(現在は115段)を朝っぱらからえっちらおっちら登りました (^^;)ハァハァ
ホテルで早めに食べた(食べ過ぎた)朝食が胃の中で踊って、ちょっち、苦しい (>_<)

 「奇兵隊蜂起の氏神」「義経先勝の社」
歴史好きなオイラ、奇兵隊や義経の文字が躍ってちゃ、行かずにいられやせん。

それにしても、下関って坂の多い町です。
国道の前は海、後ろは丘陵地って感じでもう山が迫ってるし、山裾にも民家がびっしりだし。

朝から健康的だわぁ、と自分を鼓舞しながら石段を登り切り、やっとこさ境内へ。
初詣客向けに建てたんだろう小屋が残る境内。


狛犬コレクション その1


狛犬コレクション その2

 昔は境内から海峡が一望できたそうです。

源義経が戦勝を祈願し、見事に平氏を滅ぼした様を見ていた近隣の漁民が、
その有様を畏敬して神祠を祀ったのが神社創建の由緒だそうで、
以来、武運長久の神様として知られるようになりました。
幕末の文久3年(1863)には、高杉晋作が奇兵隊旗揚げの旗を奉納、
坂本龍馬も世話になった豪商・白石正一郎も攘夷必勝を祈願して大鳥居を奉納したとか。

 お稲荷さんも祀ってありました。

そんな境内の東の隅に気になるものが…。
 囲いの中に石版が6枚。
ぱっと見、古くさくて、よく見ないと何が描かれているのか分からないレリーフですが、
幕末の政変で尊王攘夷派の公家7名が京都政界から追放された事件、
いわゆる『七卿落ち』の姿を描いたものでした。

七卿潜寓の画碑

七卿名
 正二位中納言 三条西季知卿(さんじょうにしすえとも)(52才)
 従三位中納言 三条実美卿(さんじょうさねとみ)(27才)
 正四位下近近衛少将 東久世道禧朝臣(ひがしくぜみちとみ)(32才)
 従四位上修理権太夫 壬生基修朝臣(みぶもとなが)(29才)
 従四位下侍従 四條隆謡朝臣(しじょうたかうた)(36才)
 従四位下右馬頭 錦小路頼徳朝臣(にしきこうじよりのり)(27才)
 従五位下主水正 沢宣嘉(さわのぶよし)(29才)

 この画碑は三条実美卿を始め、七卿が政変を避け、京都の妙法寺を蓑笠姿にて長州へ下向する様子を(画碑に)写刻したものである。
 氏子の豪商にて国学の識見高き白石正一郎邸に潜寓せられた縁をもって氏神の大歳神社の境内に大正4年、関門史談会が建立して、後世に七卿の偉業を顕彰せんとしたものである。
 この画碑の損害が著しい由は、昭和15年の大歳神社の遷座に伴い、移築する筈の画碑を20余年、野ざらしで放置したことに起因する。
 文久3年(1863年)8月、会津・薩摩両藩の公武合体派の画策により、攘夷を主張する三条実美卿ら急進派の公卿が京を追われた。
これが後に伝えられる『七卿落ち』である。
 当時長州藩は関が原の合戦以来の汚名返上を一日千秋の思いで伺っていた。
ペリーの来航により、通商条約の権威失墜を招き、奮起した長州藩の志士たちを触発して攘夷思想を駆り立てた。
 ところが、4国連合艦隊との下関戦争に加え、第一次長州征伐に敗北を喫した。
正に内憂外患の折り、七卿の存在は『錦の御旗』に代わる存在であった。
 高杉晋作等の功山寺決起によって、攘夷倒幕思想が主流となり、藩内を二分した俗論党を一蹴した。
 この功績は七卿の西下に負うこと顕著である。
卿は三位以上の称号であるが他の5名も卿に列せられ七卿と尊称される。


大歳神社は元は下関駅の北側付近にあったんですが、
そこに関門トンネル鉄道のレールが通ることになり、こっちに移ってきました。
でもその際に、このレリーフの存在を失念、以来、まさかの野ざらし、それも20年…。
そういうこと、あるんですねぇ (^^;)

 この日はずっとこんなお天気でした。

ホテルへの帰り道、裏道を通って帰りました。

 国道のすぐ北側の小径。
昼間はただの裏道だけど、夜は飲み屋のネオンがずら~~っと灯る繁華街でした。

そうそう、この通りにくじら料理さんがありました。
実は下関は近代捕鯨の発祥地で、日本一のくじらのまちを目指しているそうです。
竜田揚げとか、小学校の給食以来、食べてないなぁ…、食べたかったなぁ…。

 下水道のマンホール。
さすが、マンホールもフグです (*^o^*)

ちなみに、フグも食べてません (^^;)


つづく…。
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