2017 07123456789101112131415161718192021222324252627282930312017 09  
また下関へ 9
2014 / 08 / 14 ( Thu )
思いの外、長くなってしまった「また下関へ」リポート。

ようやく?、最後の地です。

晋作終焉の地から、さらに北へ歩き、地元の人しか通らない路地を歩いて、
途中、野良猫に挨拶しながら、「桜山」というきれいな名前の場所へ。

緩やかな坂を登り、JRの線路沿いに歩いて、日没前になんとかたどり着けました。
 桜山神社です。

「桜山神社案内図」と「維新の史跡 見て歩きコース図」。

この神社も明治維新関連の史跡がある場所です。

 いざ、山上へ。
桜山ってくらいですから、この辺りはこんもりとした丘陵地になっています。
ちなみに、先に訪ねた萩藩新地会所のあった辺りは、この桜山の土を盛って埋め立てた、
維新前頃にできた新しい土地で、だから「新地」という地名なのでした。

登り初めて、すぐ、右に史跡がありました。

「七卿史跡」

七卿史跡

維新回天発祥地 櫻山招魂場を視察

文久3年(1863)8月18日の政変により、三條実美卿等七卿は、京都妙法院をあとに、西下長州に向う。
翌元治元年3月26日、六卿は馬関砲台を巡視発程の途上錦小路は病を発し、29日彦島巡視の予定を延べ同日晴八ツ時五卿方招魂場ご覧あり、帰路鋳造場へ立寄らる。
頼徳卿は馬関にて静養中遂に客舎にて逝く悼惜何ぞ堪えんや


またここでもヤブ蚊に刺されました、黒い、小さなヤツで、チクってしたから、すぐ撃退できたけど、
こっちの蚊の免疫はゼロだから、ホテルに着くまで、ずっと痒かったよ (>_<)

 山上到着。
 お参り。
日没前だけど、もう7時前だったから、拝殿の扉は閉まってました。

 ここにも「下関と龍馬」

龍馬と下関

龍馬の死後、下関に滞在していたお龍は、一時期、桜山招魂社運営のために設けられた「あけぼの」という茶屋で、 橙の実を短銃で撃ったり、一晩中飲み明かしたり過ごしたといいます。 この間、お龍は桜山招魂場に祀られた人々への思いを読んでいます。

「武士のかばねはここに桜山 花は散れども名こそ止むれ」


そう、その「桜山招魂場」を訪ねてきたのです。

桜山招魂場は、社殿の裏手にあります。

桜山神社招魂場

 元治元年(1864)1月、高杉晋作の発議によって創建された招魂場で、慶応元年(1865)8月には社殿も造営され、招魂社としてはわが国最初のものといわれている。
創建当初は、文久3年(1863)5月10日に始まる下関攘夷戦において戦死した奇兵隊士の霊を弔うものであったが、後、小倉戦争(四境戦争)や北越戦争(戊辰の役)で戦死した者、さらには長州の尊王討幕運動に輝かしい名をとどめる吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、山縣有朋らの霊も加え、今日では396柱の志士がここに祀られている。
 この招魂場のもつ尊い意味は、偉大な指導者吉田松陰から奇兵隊小者弥吉といった名もない者にいたるまで等しく祀られていることで、整然と立ち並ぶ霊標の姿は、奇兵隊における武士、町人の身分制を超えた新しい時代への理念を伝え、胸を打つものがある。
 なお、この地は奇兵隊調練場跡でもあり、招魂場となって以後桜を植えたことから、桜山と呼ばれるようになったもので、下関市内の数多い維新史跡の中でも、ことに重要な意味を持つ聖地ということができる。




 巻物調の碑。

猛烈奇兵何所志 要将一死報邦家
尤欣名遂功成後 共作弔魂場上花

弔む羅和留人尓入るべき身なり志尓
弔む羅宇人となるそは津か志

謹弔 霊魂

故奇兵隊士東行狂生

死んで弔われる人に入っているべき自分が
弔う側の人になってしまうとは、恥ずかしいものだ、
と書いた晋作の書でした。
墨を落としたのだろう、汚れがリアルです。

 本殿真後ろの鳥居が入口。
霊標がずらり、それらを率いるが如く、中央にあるのが、
 吉田松陰。
左が久坂玄瑞、右が、弔う側になって恥ずかしいと詠んでいた高杉晋作。
 ひとつひとつ、名前を確かめてみたかったんですが、
なにせ、ここもヤブ蚊攻撃が激しく、シャッターを押す間もじっとしてられなくて、
結構、ブレブレ写真になってしまいました。


以上で、お散歩終了。

前回と今回で、下関にある明治維新関連のめぼしい史跡は回ることができました。

門司港目前でデジカメのバッテリーが切れてしまったのは大誤算でしたが (^^;)


ひとまず、下関駅へ寄って晩ご飯を買い込み、それからホテルへ戻りました。
帰りは下り坂、日は沈みかけ、涼しい海風が街に吹き込み始めてたので、
昼間に比べたら随分、楽な帰り道でした。

でも、一日中、草履(甲と踵を固定できるタイプ)で歩いていたので、足の方はもう限界でした。

余りに暑いせいで、ハトさえ日陰に避難してた駅前の歩道橋も夕暮れになれば涼しかったです。


よく歩いたから、夜はぐっすり眠れました。

翌日の仕事もミスなく、おまけに予定より早めに終えられ、
松山には夕方には帰ることができました。

ちなみに、クルマで片道6時間の距離です。

小倉行きのフェリーを使えば、船内で一泊して、朝イチから活動できます。
遊びなら、船移動がいいなぁ。


以上、下関の旅、再び、でした。


追伸:実は明日からまた下関に行くことになってます、仕事です。
前泊し、仕事は翌朝からなので、明日はチェックイン後は自由行動OKでした。
でも、運転してくれる人の希望で昼過ぎから出発、到着は日が暮れた頃になりそうで。
行けてない赤間神社とか、門司港レトロの写真とか、
やり残したことを叶えられるかと思ったんだけど、残念です。

いずれまた、です。

と云うわけで、ブログ、また細切れにお休み入ります、すみません。
関連記事

19:20:15 | コメント(回答)(0) | page top↑
また下関へ 8<<古い方< 最新記事 >新しい方>>遭難まとめ 8月1日~9日
コメント
コメントの投稿














←管理人以外は読むことができないメッセージにしたい場合はチェックを

「バカ」「アホ」「変態」「狂」... 使いようによっては他人を不愉快にさせるワードは投稿不可となっています、ご注意下さい。

コメントいただくのはとてもうれしいんですが、
「送信」ボタンを押す前にいま一度、読み返してみて下さい。

「よく読んでもらえば分かる」「行間を…」ということを相手に望むのはわがままです。

お怒りな場合でも、大人な対応でぜひ、よろしくお願いします。 <(_ _)>

お山でも町でもメールでも、自分がイヤなことは他人にしてはいけませんよね。

なお、当ブログは一個人のブログです。
コメントの削除や受信拒否の設定をする・しないも正直、私個人の勝手です。
不愉快だと思ったコメントはばっさり削除します。
違う意見を持つ人と共存できないクレーマーと判断したら、即、ブロックします。

相手が聞く耳を塞いだら、どんなに正論でも一生届くことはないでしょう。

いろいろ、すみませんが、ご了承下さい。

また下関へ 8<<古い方< 最新記事 >新しい方>>遭難まとめ 8月1日~9日