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松江散策記 2015.01 5 松江城 2
2015 / 02 / 11 ( Wed )
松江出張、4日目昼、松江城城内へ。

附櫓にある入口には、
 鉄板張りの扉がありました。
すのこの上で脱いだ靴を持って階段を上がり、
 下駄箱へ。
また階段をつつつっと上がると、
 受付&売店。
日曜日などはこの場所に忍者とか、出没するそうですよ。

また階段を登り、「←順路」に従って左に行くと、

一瞬、地面の下かと錯覚してしまう、石垣に囲まれて光の差さない不思議な空間、「穴蔵の間」。
あ、お城的には石垣の中は地下扱いです。
穴蔵の間は、兵糧の貯蔵倉庫で、塩などが備蓄されていました。
 深さ約24mの井戸。
つねに飲める水が湧いていたそうです。
 塩蔵部分には矢みたいなオブジェ。
 古びたしゃちほこは、
昭和25年に始まった解体修理時に傷みが酷くて再使用できなかったものだそうです。
 基礎が丸わかり。

階段に戻り、上へ。

1階、床面積 447.23㎥のフロアに、は
 兜など武具が展示されています。
 薄暗くとも栄える大鎧たち。
展示物は撮影不可なお城が多い中、松江城はほとんど制限がありません。
でも、他人の迷惑にならないよう、フラッシュは控えめに。


松江藩主の系図。
築城した堀江氏は孫の忠晴で断絶。
次の京極氏はすぐに改易。
松本から移封されて来た松平氏が明治まで治めました。
初代・松平直政は越前松平家系、徳川家康の次男・結城秀康の三男。
結局のところ、秀吉に縁のあったものは排除、
家康の息がかかったものが治める構図となったのでした。




 お城独特な急な階段ですが、
防火防腐のために桐が使われているのは、松江城独特です。
2階へ。
太い通し柱が林立するフロアには、
 松江市街地のジオラマがありました。
良くできてるジオラマは3つ、江戸時代から昭和まで、城下町の変遷が手に取るように理解できます。

 階段、とことこ。
3階は展示物も少なく、がらんとしていて、
 松江城本丸の立体模型がありました。
すでにない櫓なども再現されています。

 また階段で4階へ。
 斜め部分は屋根の破風部分。
壁には銃眼の穴があります。

展示物は柱そのものといったフロアです。
天守は全部で308本の柱があります。
柱をよく観察すると、複数の木材をかすがいや金輪でまとめ、一本の柱に加工しています。
そんな柱の面に板を貼っているものが130本もありますが、これは包み板というもので、
割れ目を隠したり、不良材の見栄えをよくするために用いられています。


最上階への階段は、これまでの直線ではなく、途中に中二階のような踊り場がある、変わった構造です。
最後の最後、階段を取り外し、あの踊り場から槍でつんつん、敵を串刺しにするんでしょうか。

5階最上階、望楼は…やっぱり…


つづく。
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