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高松城、丸亀城 5 丸亀城 2
2015 / 08 / 12 ( Wed )
 大手から丸亀城入城。
正面の門は「大手二の門」、国指定重要文化財。


門の内はお馴染みの石垣に囲まれた四角い枡形。 


次は櫓門スタイルの「大手一の門」、国指定重要文化財。

防御も兼ねた堅牢な姿で、表の二の門がまるで飾りか表札みたい。

 門の下部。

 城内から振り返って。

門をくぐり出ると広場のような通りが左に折れ曲がり、山裾に突き当たって左右に道が分かれます。

 こちらは突き当たり右、御殿跡に向かう道。

 突き当たりの看板。

丸亀城の歴史

 丸亀城は、生駒氏が慶長2年(1597)から5年をかけて西讃岐の支配のため築城したが、一国一城令により廃城となった。
その後、生駒氏の転封により讃岐は東西に二分され、西讃の拠点として山崎氏がその城跡に、寛永20年(1643)より築城を開始した。
現在のほどんどの石垣は、山崎氏によって造られたと考えられる。
山崎氏絶家後は京極氏が入封馴し、明治維新を迎える。

 標高66mの自然の岩山である亀山を利用し、それを取り囲むように四方に3段の石垣を巡らせ、山下部から三の丸、二の丸、本丸へと登って行く縄張りとしている。
山上部にはかつては現存する天守を含め12の櫓とそれらを繋ぐ渡櫓があり、山下部には藩主の住む居館や大手門、庭園などがあった。
また、外堀の内側には武家屋敷を置き、大手口や搦手口には家老屋敷を配置して守りを固めていた。

 天守は全国で最小ながら現存する木造天守12城のひとつであり、大手門や御殿門も現存している点は貴重である。
また、緩やかな勾配から次第に急になり最後は反り返る「扇の勾配」といわれる高さ20mを越える見事な高石垣が見所である。


丸亀城の年表

生駒時代
天文年間(1532~55) 細川勝元の重臣、奈良氏が聖通寺城の支城を円亀山に築城。
天正15年(1587)   生駒氏、播州赤穂から讃岐15万石の領主となる。
慶長 2年(1597)   生駒親正・一正、築城に着手。
慶長 7年(1602)   築城完成。一正、高松城へ移り、城代を置く。
元和元年(1615)   一国一城令により廃城。
寛永17年(1640)   生駒氏、出羽国由利郡矢島に転封。

山崎時代
寛永18年(1641)   山崎氏、肥前国天草郡富岡から西讃岐5万3千石の領主となる。
寛永20年(1643)   山崎家治、参勤交代の免除と銀300貫を得て、丸亀城を再建。
明暦 3年(1657)   山崎氏絶家。備中成羽へ転封。

京極時代
万治元年(1658)   京極氏、播州龍野から丸亀藩6万67石の藩主となる。
万治 3年(1660)   天守完成。
寛文10年(1670)   南側にあった大手を北側の現在地に移し、大手門枡形を整備する。
元禄 7年(1694)   多度津藩1万石を分家する。

近代 現代
明治 2年(1869)   城内御殿が全焼。
明治 7年(1874)   番丁に丸亀兵営完成。
明治10年(1877)   櫓・城壁などが取り壊される。
大正 8年(1919)   山上部を借地して、亀山公園を開設。
昭和18年(1943)   天守国宝に指定される。
昭和20年(1945)   内堀以内を公園として一般開放する。
昭和25年(1950)   天守の解体修理。天守重要文化財に指定替え。
昭和28年(1953)   丸亀城跡が国指定史跡となる。
昭和32年(1957)   大手一の門・二の門、重要文化財に指定される。
昭和38年(1963)   藩主玄関先御門等が県指定文化財に指定される。大手門の解体修理。
昭和43年(1968)   藩主玄関先御門等の解体修理。
昭和51~53年(1976~78) 第1次石垣修理工事。
昭和62年(1987)   天守白壁・屋根瓦の修理。
平成 3年(1991)   第2次石垣修理工事始まる。
平成 5~6年(1993~94) 本丸・二の丸整備。
平成17年(2005)   藩主玄関先御門附土塀の修理。



 丸亀城跡案内図。
 拡大。
高松城に比べ、高低差があるので、楽にはたどり着けませぬよ。

天守への道は、突き当たりを左、
 「見返り坂」を登ります。

 まっすぐな坂道です。
坂のすぐ途中に見える売店のような建物は、

うちわ攻防「竹」、うちわの手作り体験もできるショップです。
顔出し看板もかわいい (^_^)

 「天守まで徒歩10分」…。

って、それより、注目すべきは、天守の入館受付の終了時間、午後4時 ! 随分、早いよ。

夏とか、夕方、まだ明るいからって余裕こいて来ても、入れないからね。

 まっすぐな見返り坂。
まあまあな坂道だったけど、松山城の登城道に比べたら、楽ちんな方かな。

 坂の曲がり角にそびえる石垣の曲線に注目。

石垣の美

 一般に見返り坂と呼ばれるこの坂は、新緑の頃は楓の若葉が、秋は紅葉が楽しい。
右手頭上に三の丸の高石垣が、美しさと竪固さを誇ってそそり立つ。
石垣の上端で垂直に立ち、徐々に緩やかな曲線を描き、遂に土に埋れる優美な姿は、丸亀城壁の美しさである。
この石垣の高さは約22メートルあって、本丸まで三段の高さは40メートルに近い。
この城壁に丸亀城の風格を偲ぶことができる。




石垣の角が描く曲線は“扇の勾配”と呼ばれ、僕には波頭を切り裂く巨艦の船首のようにも見えました。

 扇の勾配で坂は右に曲がります。

 もうひと登り、ここの勾配が結構、きつかったです。

帰り道、高齢な団体がこの坂で息を荒げ、手すりにつかまって登って来る姿を見ました。

直線の坂道を駆け上がってきた敵軍勢の足並みをここで失速させ、隊列がもたつく間に上から情け容赦なく狙撃する…。
そんな光景を思い浮かべたのは僕だけかな。

 見返り坂で振り返ると海が見えました。

「三の丸」に到着。
広場が
パノラマ左端が見返り坂、右端が天守への道、中央が三の丸の広場。

三の丸自体は、鉢巻き状にお城をぐるっと一周していて、“三番目の段”と形容したほうが分かりやすいかも。

三の丸

 見返り坂を登ると三の丸である。
海抜約50.5メートルの平地で、東方(左方)の眺めがすばらしい。
飯野山(讃岐富士422メートル)がそびえ、その手前に土器川が右(南)から北へ流れ、その北に青ノ山が横たわり、更にその北に遠眺するは坂出市番の州工業地帯と瀬戸大橋である。
東南隅に巽櫓の跡がある。
土器川の東と城の南方は旧高松藩領で、それを見張る櫓であった。
月見にはよい位置であったから月見櫓とも呼ばれた。



見返り坂の左壁だった石垣は、
 まるで岬のように北に向かって細長く飛び出しています。

先端部からのパノラマ。

 見返り坂を見下ろして。

 広場の南東隅に礎石跡がありました。
「月見櫓」とも呼ばれた「巽櫓」があった場所です。

月見櫓跡からの眺め。
パノラマ中央の端正なお山は讃岐富士と呼ばれる飯野山。


天守方向を振り返って。

三の丸は南側へ続いていますが、そちらは後ほど。

 天守目指し、石垣に挟まれた坂を登ります。

 クランク状に2度曲がった後、

 「二の丸」へ。

二の丸は緑に覆われた平らかな場所です。

パノラマ右端付近、小屋のようなものは井戸で、直径一間(約1.8m)、深さ36間(約65m)となかなかに深いです。
井戸の底の水面は、お堀の水面と同じ高さとも云われ、抜け穴伝説もあったりします。
この井戸には、築城時の悲しい伝説が残っています。

羽坂重三郎と云う、丸亀城の石垣を築いた石垣作りの名人がいました。
仕事をするときはいつも裸になって一生懸命働くことから「裸重三」とも呼ばれました。
ある日、築城現場を視察に来た殿様・生駒親正が、
「さすがは重三の築いた石垣、完璧である、空飛ぶ鳥以外、この城壁を乗り越えられるものはあるまい」
とご満悦なのを聞いた重三郎、黙っていればいいものを、つい、
「鉄棒一本にて、容易に登ってみせましょう」
当然、石垣を知り尽くしていた重三郎は、鉄棒を石垣の継ぎ目に差し入れ差し入れ、すいすい登ってしまいます。
それを見た殿様、その場では褒めてはみたものの、後々、怖くなってしまいます。
石垣の登り方なぞ、敵の間者(スパイ)に知られたら、命が危ない…。
ある夜、重三郎は、二の丸の井戸にくせ者が潜んでおらぬか調べてくれか、と呼び出されます。
深すぎて誰も降りることができない井戸にて、石垣を登り切った技を生かし探って欲しいと、殿様の仰せ。
重三郎は井戸の底へと降りてゆきます。
底に着いたとき、次々に大きな石が落ちてきました。
なすすべなく、重三郎は石に埋め殺されてしまいました。

石垣や天守の建設に協力した者が機密情報秘匿のために殺されてしまうお話はあちこちに残されています。
けれど、当時、城普請(建設)のノウハウを持っていた者は、極極一握りにしかすぎず、
信長・秀吉・家康らの機嫌次第で、城が完成する前だろうが、よその地へ転封されることも少なくなかった時代、
お抱えの技術者をいちいち殺していたら、困るのは殿様自身。
城塞完成の遅れを時の権力者に叱責されることのほうが恐ろしい。
また、井戸は貴重なもの、城を包囲され、兵糧攻めに遭ったとき、水がなくてはお話になりません。
そんな井戸で人を埋め殺すなど、どうにも怪しい。

石垣建設に当たり、豆腐売りを捕まえて穴に投げ込み、生き埋めにした人柱伝説もありますが、
お城のような巨大施設の建設現場では、労災も少なくなかっただろう時代の話です。
事故で亡くなった話が、闇夜を重ねるうちに、おどろおどろしい話に変わっていったのかもしれません。

 二の丸奥の坂を

 登り切れば、



天守のそびえる「本丸」に到着です。


つづく。
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