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青春18きっぷ旅 3 3日目 皇居東御苑 2
2015 / 12 / 31 ( Thu )
前回も書きましたが、皇居東御苑を見学、と云うより、気分は、江戸城址散策。

 城跡らしさを色濃く残す「北桔橋門」。

 門内から撮影。
門を入ると、すぐ右に「発券小屋」があり、おじさんが、
 「入園票」を手渡してくれます。
退園するときに返しますので、なくさないように(持ち帰っちゃダメよ)。

ちなみに、東御苑の出入り口は、大手門・平川門・北桔橋門の3カ所。


北桔橋門から入ると、視界いっぱいに、絶対見落とさないだろう、巨大な物体が現れます。

 どど~~~~んっ!
江戸城の天守台です。

東西約41m、南北約45m、高さ11m。

この上に江戸城が載っていました。


上部に上がれるスロープがある正面から。

人と比べると、その大きさが想像つくと思います。

 石碑。

天守台

 最初の天守台は、1607年二代将軍秀忠の代に完成しましたが、その後大改修され、1638年三代将軍家光の代に、江戸幕府の権威を象徴する国内で最も大きな天守閣が完成しました。
外観5層、内部6階で、地上からの高さは58メートルありました。
しかし1657年、明暦の大火(振り袖火事)で飛び火により全焼し、以後は再建されませんでした。





舗装されたスロープで天辺まで上がることができます。

天守台上部、ベンチがあるくらいで、期待を裏切るほど、なにもありません (^^;)

低い展望台って感じで、次々登って来る外国人観光客もすぐに降りて行っちゃうのでした。

文化財だからって、展示物とか、足を止めたくなるものがなにか、もう一工夫欲しいと思いました。

天辺から、南に向かっての眺め。

天守台南部の大きな芝生の広場は、その昔、江戸城本丸御殿の建物が建ち並んでいました。


江戸城は、徳川家康、秀忠、家光と、3度も建て替えられました。

まさに、江戸幕府、徳川政権の権力の象徴でした。

家康が建てた最初の天守(慶長の天守)は、現在より南の富士見多聞(↑地図の5番)の辺りに位置していました。

五層五階、天守台を含めた高さは約55m、外壁は白漆喰、屋根も白く輝く鉛瓦で、まるで雪富士山のようだったそう。

現在の位置に建てたのは秀忠(元和の天守)。

慶長の天守の創建から、たった16年後のことです。

慶長の天守を解体、リサイクルして建て替え、天守台を含め高さ58.6mという史上最高の巨大天守となりました。

3代将軍家光が再建したのも、たった15年後(寛永の天守)。

元和の天守を解体し、デザインを少しアレンジして、黒く重厚な外観の天守に建て替えられました。

けれど、完成から19年後に発生した、当時の江戸の大半を焼失するに至った大火災「明暦の大火」で焼失。

明暦の大火による死者は、諸説あるものの、3万から10万人という、日本史上最大の被害を出した火災でした。
(当時の江戸の総人口は50万人ほど。)

当時、4代将軍だった家綱は、焼け落ちた天守を再建しようとしましたが、叔父の保科正之が異を唱えます。

戦国の世でもあるまいし、天守閣なぞ時代遅れ、それよりは、焼け野原となった城下の復興を優先すべしと。

復興最優先と云えば聞こえがいいですが、家綱時代の徳川家の財政こそ火の車で、
本丸の再建費用だけでも、家光から引き継いだ500万両の5分の1の100万両もかかり、
天守再建どころの話ではありませんでした。

ただ、天守台だけは、加賀藩前田家が普請してくれ、天守が載らないまま、いまに至っています。

 大芝生から天守台を見て。

さて、天守台に登った頃から、天候が急変し出しました。

青空がどんどん少なくなり、雲が流れるほど、強い風が吹き荒れ始めました。

外国人がほとんどだった観光客らも、風に蹴散らされるように、散り散りに退散して行きます。

そんな中、父親だろう人が押してる車椅子の少年は、なぜか大はしゃぎで、
天守台や開放感たっぷりな公園に感動しているのか、強い風なんかに負けないぞと空に挑んでいるのか、
分からないけど、楽しんでいた姿が印象的でした。

江戸城本丸御殿の建物が建ち並んでいた大芝生は、めちゃめちゃ広いんですが、
さえぎるものがないので、吹き荒れ始めた風がごーごー、吹き抜け、立ってられないほどでした。


一足も二足も早いサクラ。

風を避けるように、上図8番の場所にある休憩所に入りましたが、売店には、天守台くらい、めぼしいものが置いてない…。

皇居なんだから、さぞかし…と、皇居グッズ?とか、江戸城土産を期待してたんですが…、また裏切られました。

商売っ気がないと云えばそれまでだけど、記念になるもの、買いたかったなぁ。

 売店の裏手に展望台があったので登ってみました。
展望台と云っても、見晴らしのいい石垣の上、元は台所前三重櫓があった場所です。

東側の眺め、白鳥濠をはさんで拡がる二の丸庭園、三の丸、大手エリア。

二の丸エリアはこちら側より一段低く、大手町、丸の内の高層ビルが木立の奥に高くそびえて見えました。


南側へ移動し、富士見櫓の横から、三の丸に通じる坂道を下りました。

「中雀門」があった場所ですが、この辺りの石垣は色味が異なり、表面にひびの入った石が目立ちます。

これは明暦の大火で焼けた天守台の石を再利用したものだそうで、
江戸城は幕末にも大火に遭い、本丸も焼失したほどの火力によってさらに変形、変色したのでした。

 綺麗な石垣もあります。
きっちり面取りし、方形に石積みされた積み方は「切込み接ぎ(きりこみはぎ)」と呼ばれる工法で、
石の加工にまで美と贅をこらせるようになった江戸時代初期から多用されました。

 クランクに曲がる坂道を下ると

「大番所」と呼ばれる建物があります。

大番所

中之門の側に設けられ、他の番所よりも位の高い与力・同心によって警備されていました。
前の坂を上ったところが本丸の入口で、中雀門がありました。



「中之門」跡の石垣を抜けると、
細長い通路にさらに大きな建物「百人番所」がありました。

長さ50メートルを超える建物で、大手三の門を守る江戸城本丸御殿最大の検問所でした。

鉄砲百人組と呼ばれた4組が交代で詰め、各組は与力20人、同心100人、昼夜を問わず警護に当たりました。

同心が100人詰めていたところから「百人番所」と呼ばれるようになったそうです。

 「中之門」跡。
「切込み接ぎ」で組まれた石垣の石は、瀬戸内海沿岸から運ばれた白い花崗岩です。


中之門跡の石垣は、平成17年(2005)~平成19年(2007)の20ヶ月かけて解体・修復工事が行われました。


百人番所に沿って通路を進み、
 同心番所のところから三の丸に出て、
「三の丸尚蔵館」の前を通り、
 入園票を返却して大手門から退園しました。

ちなみに、「三の丸尚蔵館」は、皇室に代々受け継がれた絵画・書・工芸品など、約9,800点の美術品類を、
保存・管理、調査・研究を行い、一般にも展示公開している施設です。


つづく。


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