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青春18きっぷ旅 3 9日目 安土城 1
2016 / 05 / 30 ( Mon )
雪ふりしきる中、いざ、安土城へ!

 大手道と呼ばれるメインストリート。
幅広い石段がまっすぐ、お山の中腹まで続いています。


石段を前にして、信長が鮗で行ったあることを思い出しました。

ある日、信長は、現代で云うところのライトアップ・イベントを開催しました。

イエズス会宣教師ルイス・フロイスは「日本史」のなかに、

「いかなる家臣も家の前で火を焚くことを禁じ、色とりどりの豪華な美しい提灯で飾らせた」

と記しています。

ほんの数mほどの範囲しか照らせない、菜種油で灯る常夜灯の類いしかなかった、闇が夜を統べていた時代。

無数の灯りに煌煌と浮かびがった安土の城は、極楽浄土の如き、美しい様であったことでしょう。

きらびやかな提灯に照らされたこの大手道、その先に見えただろう、輝く天守の姿をふと、想像しながら登り始めました。

 ちょっとしたお山歩になるので、善人杖が用意してあります。

 踏みしろの余裕ある階段、その途中に、
 なにげに石仏が、踏み石のひとつとして使われています。

大手道跡の石仏

 この石仏は、築城の際に大手道の石材として使われたものです。

 城普請に使用する多くの石材は、近郊の山々から採取しましたが、石仏や墓石等も含まれていました。

 出土した石仏等は、本来は信仰の対象となっていたものですが、築城の経緯を示すために発貝当時の状態で保存しています。
趣旨をご理解の上、見学して下さい。

                                     滋賀県教育委員会


さすがは、神仏を恐れぬ信長が所行、と云ったところですが、この先、いくつもあって、何度も踏みそうになりました。


大手道の左右には、石垣を積み上げて造成された屋敷跡が点在しています。

その、まず最初に出会う屋敷跡は、
 左側にある、
「伝羽柴秀吉邸跡」の秀吉の屋敷跡と伝わる、広大な平地です。


一応ですが、“伝”羽柴秀吉邸跡、であって、秀吉の屋敷跡だとする正確な資料があるわけではありません。

あくまで、言い伝え、に近いので、ホントは違うかも知れません、あしからず。

それにしても、最近は、根拠があいまいなものに“伝”を付けるのが流行り?みたいで、
教科書にも載ってた源頼朝を描いた「源頼朝像」も別人説が有力となって「伝源頼朝像」となっていますね。


お山の一番入口に近く、天守からは一番遠く、最下層と云ってもいい場所にありました。

けれど、その面積はとても広く、

この立派な岩垣の上の段も、秀吉の屋敷跡なのです。

 屋敷配置図。

伝羽柴秀吉邸跡

 ここは、織田信長の家臣であった羽柴(豊臣)秀吉が住んでいたと伝える屋敷の跡です。
大手道に面したこの屋敷は、上下2段に別れた郭(造成された平地)で構成されています。
下段郭の入口となるこの場所には、壮大な櫓門が建っていました。
1階を門、2階を渡櫓とする櫓門は、近世の城郭に多く見られるものですが、秀吉邸の櫓門はその最古の例として貴重です。
門内の石段を上がると、馬6頭を飼うことのできる大きな厩が建っています。
武士が控える遠侍と呼ばれる部屋が設けられている厩は、武士の生活に欠かせない施設です。
下段郭には厩が1棟あるだけで、それ以外は広場となっています。
背面の石垣裾に設けられた幅2m程の石段は、上段郭の裏手に通じています。

 上段郭は、この屋敷の主人が生活する場所です。
正面の入口は大手門に面して建てられた高麗門です。
その脇には重層の隅櫓が建ち、防備を固めています。
門を入ると右手に台所があり、さらに進むと主屋の玄関に達します。
玄関を入ると式台や遠侍の間があり、その奥に主人が常住する主殿が建っています。
さらにその奥には内台所や遠侍があります。
3棟の建物を接続したこの建物群の平面積は366㎡あり、この屋敷では最大の規模を持っています。

 戦国の世が終わりを迎えようとする16世紀末の武家住宅の全容を明らかにした伝羽柴秀吉邸跡の遺構は、当時の武士の生活をうかがい知ることのできる、誠に貴重なものといえます。


櫓門跡の発掘調査

 伝羽柴秀吉邸跡の発掘調査は平成2年と4年に実施しました。
調査前は草木の生い茂った湿潤な斜面地でしたが、大手道に面した調査区からは門の礎石と考えられる大きな石や溝、階段を発見しました。
これらは厚さ数cmの表土の下から見つかりましたが、その保存状態は大変良好で今後の安土城跡の調査に大さな期待を抱かせるこことなりました。

 礎石は鏡柱を置く巨大な礎石や添柱用の小さな礎石など、大小あわせて9個発見しており、最入のものでは0.8m×1.4mの大きさがあります。
これらの礎石の配列と両側の石垣の様子から、この建物は脇戸付の櫓門であることがわかりました。

 櫓門の内側には、屋敷に通じる石段とこれに伴う石組みの排水路があり、水路の縁石には石仏が使用されていました。
門の前では大手道から櫓門へ入るための橋を支えたと考えられる3本の長い花崗岩製の転用石を発見しました。

 また、周辺からは櫓門の屋根を飾っていたと考えられる金箔軒平瓦や丸瓦の破片が出土しています。



ホント、とても広い敷地で、その広さの土地を信長から与えられた秀吉の信任ぶりがうかがえました。

信長家臣団の中でそれだけの地位を当時、確立していただろうことを、物理的に確信できました。

 上段へ。


石積みの前を斜行する石畳と石段を上がって行くと、
 さらに広い上段。
 大手道から。

 解説。

伝羽柴秀吉邸主殿

 安土城が築かれた頃の武家住宅において、接客や主人の生活のために使われていた中心的な建物を主殿といいます。
この屋敷では、主殿の手前に式台・遠侍、奥に内台所が接続して複雑な構成になっています。
主殿入口は、建物東部に設けられた玄関です。
「玄関」を入ると「式台」の間があり、ここで来客は送迎の挨拶を受けます。
その背後には、武士が控える「遠侍」の間が置かれています。
式台を左に進むと主殿に出ます。
畳を敷いた幅1間の廊下の西は、2間続きの座敷になっています。
西奥の部屋が床・棚を背に主人あるいは上客が着座する「上段の間」です。
上段の間南には主人が執務を行う「付書院」が付属しています。
南側の「広縁」は吹き放しで、その東端に「中門」が突出しています。
広縁の途中にある「車寄」は、もっとも大事な客-例えば秀吉邸を訪れた信長-が直接上段の間に入るための入口で、上には立派な軒唐破風が架けられています。
主殿のさらに奥には、簡単な配膳を行う「内台所」や「遠侍」が接続しています。
皆様も往時の姿を思い浮かべながら、秀吉の来客になったつもりで、整備された礎石の間を歩いてみてはいかがでしようか。


 「伝羽柴秀吉邸復元図」。

 「伝羽柴秀吉邸主殿」。

これだけの屋敷を与えられるほどに出世街道まっしぐらだった秀吉はこの屋敷に長居することもなく、
中国攻めを任され、戦地を転々とし、やがて遠く離れた西国の地で信長の悲報を知ることとなります。


さて、大手道を挟んだ向かいにも屋敷跡があります。

 前田利家の屋敷跡です。



 解説。

伝前田利家邸跡

 ここは、織田信長の家臣であった前田利家が住んでいたと伝える屋敷の跡です。
大手道に面したこの屋敷は、向かいの伝羽柴秀吉邸とともに大手道正面の守りを固める重要な位置を占めています。
急な傾斜地を造成して造られた屋敷地は、数段の郭に分かれた複雑な構成となっています。
敷地の西南隅には大手道を防備する隅櫓が建っていたものと思われますが、後世に大きく破壊されたため詳細は不明です。
隅櫓の北には大手道に面して門が建てられていましたが、礎石が失われその形式は分かりません。
門を入ったこの場所は枡形と呼ばれる小さな広場となり、その東と
北をL字型に多聞櫓が囲んでいます。
北方部分は上段郭から張り出した懸造り構造、東方部分は二階建てとし、その下階には長家門風の門が開いています。
この枡形から先は道が三方に分かれます。

 右手の道は最下段の郭に通じています。
ここには馬三頭を飼うことのできる厩が建っていました。
この厩は、江戸時代初期に書かれた有名な大工技術書『匠明』に載っている「三間厩之図」と平面が一致する貴重な遺構です。
厩の脇を通り抜けると中段郭に通じる急な石階段があり、その先に奥座敷が建っていました。

 正面と左手の石階段は、この屋敷地で最も広い中段郭に上るものです。
正面階段は正客のためのもので、左手階段は勝手口として使われたものでしょう。
前方と右手を多聞櫓で守られた左手階段の先には、木樋を備えた排水施設があります。
多聞櫓下段の右手の門を潜ると、寺の庫裏に似た大きな建物の前に出ます。
広い土間の台所と、田の字型に並ぶ四室の遠侍が一体となった建物です。
遠侍の東北隅から廊下が東に延びており、そこに当屋敷の中心殿舎が建っていたと思われますが、現在竹薮となっており調査が及んでいません。
さらにその東にある奥座敷は特異な平面を持つ書院造り建物です。
東南部に突出した中門を備えているものの、部屋が一列しかありません。
あるいは他所から移築されたもので、移築の際に狭い敷地に合わせて後半部の部屋を撤去したのかもしれません。

 伝前田利家邸は、伝羽柴秀吉邸とほぼ共通した建物で構成されていますが、その配置には大きな相違が見られます。
向かい合うこの二軒の屋敷は、類例の少ない16世紀末の武家屋敷の様子を知る上で、たいへん貴重な遺構です。


 利家邸も立体的ですね。

秀吉邸も利家邸も城内にある都合上、防衛施設としての側面もあり、有事には最前線に位置しています。

石垣上に構築された立体的な敷地がそれを物語っています。




前田利家邸の上は、現在、摠見寺の仮本堂となっていますが、徳川家康邸の跡だろうと伝えられている場所です。


ちなみに、摠見寺は、信長自らが安土城内に建立し、本能寺の変以降、信長の菩提寺としていまに至るとともに、
織田家の一族が住職を代々務め、この安土山が寺領として寄進されて以降、摠見寺がいまも所有しています。

 その仮本堂がある場所は、
 家康邸の跡ですが、制限あって見学できませんでした。


 石段の大手道は、森にぶつかって左に折れます。

 振り返って。


つづく。


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