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ご開帳と葵祭と姫路城の旅 4日目 京都御苑 4
2016 / 06 / 15 ( Wed )
 近衛邸跡の自然たっぷりな公園から出ると、

 そこは乾御門でした。

 外から。

 京都市の主要な南北の通りのひとつ、烏丸通りに面しています。

 白い自転車の轍に沿って戻ります。


御所の北西の角に出たので、今度は御所の塀に沿って南に向かって歩きます。

御所の長い長い築地塀。

塀の奥は、瓦屋根くらいしか見えません。

御所の長い築地塀が一旦、途切れるところ、清所門。

 こちらもしっかり、警備されています。

京都御所も参観は許可制です、宮内庁の参観申し込みサイトから申し込みます。

また、春と秋の一般公開なら、申込手続は不要です。


清所門の前に立ち、西の森を見ると、

涼しげな小径があったので入って見ました。

この林一帯は、一條家の屋敷があったところです。

人工的なものと云えば、宮内庁京都事務所がありました。

その裏手に、
 縣井(あがたのい)と呼ばれる井戸がありました。

縣井

 昔この井戸のそばに縣宮という社があり、地方官吏として出世を願う者は、井戸の水で身を清めて祈願し、宮中にのぼったといいます。
この付近は江戸時代まで五摂家の一つ一條家の屋敷地内となっており、井戸水は、明治天皇の皇后となった一條美子のうぶ湯に用いられたともいわれています。
大和物語では病気を治す水とも紹介され、井戸と辺りの山吹の風情は、後鳥羽院などの歌にも詠まれました。




縣井から南へわずかの距離に、
 中立売休憩所がありました。


エアコンが効いた広い室内には食堂とお土産コーナーがありました。

 外観。

 休憩所のすぐ隣くらいの距離に、

 中立売御門があります。

外から。

 普通車などはこの中立売御門からも入苑することができます。

 引き返して、

 御所の長い築地塀に沿って歩きます。
あの門は、宜秋門(ぎしゅうもん)。

御所の南西の角まで来ました。

ここの辻には、とても大きなムクノキがまるで道を塞ぐように聳えています。

 清水谷家の椋と呼ばれる巨木です。

清水谷家の椋

 この大きなムクの木は、このあたりが清水谷家という公家の屋敷であったことから「清水谷家の椋」と呼ばれています。
樹齢は約300年といわれ、苑内でも数少ないムクの大木です。
 1864(元治元)年の禁門の変の時、長州藩士で遊撃隊(長州尊皇壌夷激派の一つ)の総督だった来島又兵衛がこの木の付近で討死したとも伝えられています。



その禁門の変の激戦の舞台になったのは、
 ムクノキから西へまっすぐ向かった、

この、蛤御門です。

 開いた扉も雨風を守るように屋根がついています。

 外から。

 「蛤御門」。

蛤御門

 江戸時代末期の1864(元治元)年、この門の周辺で長州藩と、御所の護衛に当たっていた会津・薩摩・桑名藩との間で激戦が行われました。
この戦いが「禁門の変(蛤御門の変)」で、門の梁にはその時の鉄砲の弾傷ちらしき跡が残っています。
この門は新在家門といわれていましたが、江戸時代の大火で、それまで閉ざされていた門が初めて開かれたため、「焼けてロ開く蛤」にたとえて、蛤御門と呼ばれるようになったといわれています。




ドラマや映画、歴史の教科書にも登場する蛤御門。

ここが、あの蛤御門かぁ、と、門柱に刻まれた弾痕だろう深い傷が、とても感慨深いのでした。


それにしても、御苑内では幕末騒乱期にまつわる話が多いですね。

清水谷家の椋まで戻り、

 南へ。


左側に、また看板発見。

西園寺邸跡

 西園寺家は琵琶の宗家でもあり、鎌倉時代の公卿西園寺公経が今の金閣寺の地に別荘北山堂を造った際、妙音天あるいは妙音弁才天といわれる音楽神を祀る妙音堂も建てられたといわれています。
この地へは1769(明和6)年に移されたといわれ、明治になり西園寺家が東京へ移った後は、1878(明治11)年、以前の神仏混交の作法を改め、地名の白雲村に因み、白雲神社となりました。
旧邸内は、西園寺公望が、私塾「立命館」を創設した地でもあります。



西園寺邸跡のある林には、
 白雲神社がありました。

 神社の入口。


狛犬コレクション。

 境内。


参詣後、また、清水谷家の椋まで戻り、今度は東に向かって歩いてみました。

御所南面の道は、また一際広い直線です。

 また門が現れました。

 建礼門です。

門の前から。

写真左奥の築地塀は、お散歩間もなくに前を通った大宮・仙洞御所の塀です。

今朝見た葵祭の行列は、この場所からスタートしました、そして、写真中央の大路を南へ進んで行きました。

 道の左右には有料の観覧席がありましたが、ほとんど片付けが済んでました。

メインストリートのような大路を南へ歩いて行くと、

こんもりと土盛りされた上に大きなマツが生えてました。

凝華洞跡

 江戸時代第111代後西天皇退位後の仙洞御所があったところといわれています。
1864(元治元)年禁門の変の頃、京都守護職に任じられていた会津藩主松平容保は病を患い、朝廷の配慮もありここを仮本陣にしました。
丘の上の松の横には東本願寺が寄進した灯籠が建ち南には池がありました。
その後、明治の大内保存事業等で池は埋められ、灯籠は九条池畔に移され、戦時中の金属供出により今は台座だけが残っています。




清らかな木漏れ日の林。

お散歩のスタート地点、間ノ町口まで戻ってきました。

そう云えば、一番最初に見た九條邸跡にあった、家に浮かぶようにあった厳島神社を見ておこうと思い、

橋を渡って、お参りに行きました。

 境内。

 そこで、とても人懐こいネコに出会いました。

写真で見ると、死んでるみたいに見えるけど、

撫で撫でされたのが、あまりにも気持ちよかったのか、無防備に、死んだようにお寝む (^_^)

動物と云えば、すぐ近くに、

アオバズクの営巣地がありました。


その隣にあった、宗像神社。

 その境内には、京都観光神社なる神社もありました。

京都を訪ねる観光客の無事息災を願い、観光業界の発展を祈念して、道案内の神様・猿田彦大神を祀っているそうです。

 宗像神社拝殿。


狛犬コレクション。



最後に、御苑の南西角にある、閑院宮邸跡を訪ねました。

閑院宮邸跡

 京都御苑南西角に位置する閑院宮邸跡は、江戸時代から続いた閑院宮家の屋敷跡です。
京都御苑は、御所を中心に200もの宮家や公家の邸宅が建ち並らぶ公家町でしたが、明治初期の大内保存事業で、これら邸宅は取り壊されました。
そのなかで閑院宮邸跡は創建以来の場所にあって、当時の建物や庭園の面影を今に伝えています。
 閑院宮家は、伏見宮、桂宮、有栖川宮家と並ぶ四親王家のひとつで、東山天皇の第六皇子直仁親王を始祖として宝永7年(1710年)に創立されました。
この場所が閑院宮家の邸宅として使用されたのは、同宮家が東京に移る明治10年までです。
その後は華族会館や裁判所に使用されます。
明治16年に宮内省京都支庁となり、建て替えられますが、一部に旧閑院宮邸の資材が利用されたものと推察されます。
 明治25年に、旧閑院宮邸の西側に宮内省京都支庁の所長官舎が建てられ、明治から大正期の趣を残した庭園が遺されています。
 平成15~17年度に、閑院宮邸跡に遺された建物や長屋門などの歴史的価値の高い建築物を再整備し、庭園では池が復元されました。
平成24~25年度には宮内省所長官舎跡地の庭園の復元整備が行われました。
 これによって、江戸、明治、大正時代の庭園を一体のものとして鑑賞することができるようになりました。
 閑院宮邸跡の近くには、旧九條邸の庭園遺構である九條池や楼閣に茶室を付した拾翠亭などがあり、閑院宮邸跡とともに、往事を偲ばせる貴重な史蹟となっています。




門の中へ。

 やっと、形のある史跡を見られた感じ。

 収納展示室も庭園も無料で参観できます。

でも、今回は、建物の中には入りませんでした。

お庭だけチラ見して帰りました。


 帰りも、来たときと同じ、間ノ町口から。

 振り返って。


以上で、葵祭と京都御苑散策は終わりです。


つづく。


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