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ご開帳と葵祭と姫路城の旅 5日目 岡山・岡山城 1
2016 / 06 / 22 ( Wed )
旅の最終日、ただの移動日にはしたくなかったので、寄り道しながら帰れれば…と、考えました。

大阪から松山へ、海路、陸路、鉄路、様々なルート、アクセス方法をあれこれ検討しました。

大まかに、乗りもの、行き先を決めて、朝、大阪を出発しました。

最初の寄り道、綺麗に生まれ変わった姫路城見学は大正解でした。

次の寄り道は、列車からちょうど乗り換える岡山か、もっと先、と考えていました。

14時03分、姫路発、相生行き普通列車に乗車。

姫路城から急ぎ足で駅に戻り、飛び乗りました。

空席がなかったのでドア横の補助席に座りました。

車内で、岡山のもっと先、広島とかその辺りまで行けないか、検討しました。

岡山から四国に渡るパターンは何度もやったので、広島からフェリーで帰るのも面白いと思ったのですが、
普通列車移動だと、フェリーの最終便に間に合わないことが分りました。

寄り道するヒマもありません。

やっぱり、岡山が寄り道もできる最善の場所でした。

 14時22分、相生着。

 14時25分、三原行き普通列車に乗り換え。

16時31分、岡山着。

岡山からは、もっとも安価な高速バスで帰ることに決めていました。

 西口のバスターミナルへ。

受付で尋ねると、松山行き最終とその前の2便とも空席あるということなので、最終便を予約しました。

 バスターミナルから駅を振り返って。

バスターミナル前の街並み。

最終便は、18時10分、岡山に滞在できる時間は、2時間切ってます。

2時間で楽しめる観光地と云えば、駅から徒歩でもOKな、
 岡山城へ。

出張で来た際、仕事終わりの夕闇時に一度、訪ねたことがありましたが、天守閣には当然、入れませんでした。

今回は天守閣まで楽しむつもりです。


桃太郎大通りを東へ、東へ、歩き、
 旭川沿いへ。

向こう岸は、岡山後楽園。

 岡山城とは、橋で行き来できます。

 川は流れが緩やかなので、白鳥号でボート遊びもできます。



橋のたもとからすぐの距離に、岡山城の北側の入口・搦手(からめて)口があります。

ここはすでに、岡山城の本丸です。

岡山城の本丸は、高い順に本段、表向(中の段)、下の段の3段に分かれています。

天守閣のある本段、表向には藩政庁・藩主公邸の御殿、下の段は土蔵や金庫などが置かれていました。


岡山城の歴史を今に

 岡山の市街地の元となった岡山城は、宇喜多秀家が慶長2年(1597)に築城した後、江戸時代には岡山藩の城府となり、明治維新により廃城となりました。
城跡は、大半が市街地となり、本丸も学校用地に転用されて、昭和20年の岡山空襲で天守と石山門が焼失し、月見櫓と西手櫓が現存するだけとなりました。

 この本丸跡は、昭和29年に学校が移転して、烏城公園として整備され、昭和41年には天守閣が復元されて観光施設ともなっています。

 さらに、昭和62年に史跡に指定されてからは、歴史に視点を置いた整備が求められるようになりました。
岡山市は平成4年度から本丸跡中の段で、発掘調査、コンクリート建物の撤去、石垣の解体復元修理、江戸時代末期の建物の表示、築城期の石垣の露出展示などを行っています。

 こうした事業は、中の段の次は天守のある本段、その後は下の段と進めて行く計画です。

 岡山市の歴史的シンボルであって市民共有の文化遺産である岡山城跡を、より良い姿で後世に伝えていくため、事業へのご理解をお願い申しあげます。

 なお、事業に関するお問い合わせは、岡山市教育委員会文化財課(電話803-1611)にご連絡ください。

  平成17年1月15日
                岡山市・岡山市教育委員会




岡山城(烏城)の歴史

 備前国邑久郡から起こった宇喜多直家が、岡山の地・石山にあった岡山城の前身にあたる城砦に入城したのは、天正元年(1573)の秋であった。
石山の城はこの地の豪族であった金光氏の小城に過ぎなかったか、直家は、この城を大改築して居城とし、城下町の経営に着手し岡山繁栄の基礎をつくった。

 その子八郎秀家は、天正18年(1590)秀吉の意見に従い、石山の東「岡山」に本丸を移し城郭の拡張整備を開始し、慶長2年(1597)天守閣が落成するにおよんで城普請は完成した。
これが豪壮きわまりない石垣と内堀を今に残す岡山城本丸である。

 秀家の築いた天守閣は、二階建の建物を大中小の三つに重ねた3層6階の構造で、外壁の下見板が黒塗りであったことから「烏城(うじょう)」の別名がある。
この天守閣は、昭和6年に国宝に指定されたが、第2次世界大戦による昭和20年(1945)6月29日の、市街地空襲により焼失した。

 現在の天守閣は、昭和41年(1966)11月に鉄筋コンクリート造りで再建されたもので、外観は全く旧来の通り復元されている。





石垣の陰に城門があります。


頑丈そうな石垣の奥に見える城門は「廊下門」です。


廊下門

上屋は本段(住居)との中の段表書院(藩庁)を結ぶ城主の通路として、使われたためこう呼ばれた。
昭和41年に鉄筋コンクリートで再建された。



 門をくぐったら、少しだけ、登ります。

開けた場所、表向と呼ばれる中の段に出ます。

 廊下門を振り返って。
右側に、本段・天守閣へ上がれる道もあります。


広場のような表向は、宇喜多氏が統治していた頃に一部が築かれました。

次の城主・小早川氏が南を、そして池田氏が北部分が大幅に拡張し、現在の形になったと云われています。

主に、藩政庁や藩主の公邸の御殿などが置かれていました。

地面には、建物があった当時の縄張りが描かれています。


表書院

 岡山藩の政治が行われた建物で、数棟からなり、大小60を越える部屋がありました。
登城してきた家臣らは南東の玄関から入り、広い廊下を通って奥へ進み、それぞれ所定の部屋に詰めていました。
廊下に面した徒番所は城内の警備や雑用にあたる家臣の詰所でした。

 藩主は、住居である本段の御殿から渡り廊下を通つて北西の招雲閣に入り、南座敷で政務を執っていました。
泉水を備えた中庭には、数寄屋(茶室)が建っていました。
北東部には台所があり、藩主の食事や儀式用の料理を作っていました。

 発掘調査で出土した建物の礎石や雨落ち溝などの遺構は地下に保存し、地表には建物の位置や間取り、泉水などを表示しています。




柵で囲まれた四角い穴を覗くと、宇喜多秀家が築城した当時の石垣の一部が露頭していました。


もうひとつの入城口・大手口のある南の端に立派な門があります。

 「不明門(あかずのもん)」と名付けられた門です。


不明門

表書院(藩庁)の南端から本段(城主住居)へ上がる石段の入口に設けられた渡櫓門、天守閣のある本段全体の入口を固めた大型の城門である。
普段はこの門は閉ざされていたことから、「不明門」と呼ばれた。
明治の廃城後取り壊されたが昭和41年、鉄筋コンクリートで再建された。



岡山城の沿革

 備前の国邑久から起った宇喜多直家が、岡山の地・石山の城にいた金光宗高を亡ぼして城郭を拡張し入城したのは天正元年(1573)の秋であった。
それまでは金川の松田氏に属する小城に過ぎなかったが、直家はこの城を本拠として城下町の経営に着手し、岡山の繁栄の基礎をつくった。

 その子八郎秀家は、豊臣秀吉の殊遇を受け、直家の遺領である備前、美作のほかに備中の内の高梁川以東をも加え、57万石をこえる大領主となった。

 ここにおいて秀吉の意見に従い、石山の東に本丸を移して城郭の拡張整備を行ない、慶長2年(1597)、3層6階の天守閣が落成するにおよんで、城ぶしんは一段落した。
これがこの地に豪壮きわまりない石垣と内堀を残す岡山城本丸であって、さらに西南の平地に二の丸、三の丸などが城域を画し、近世城下町の骨格ができあがったのである。

 宇喜多秀家は、慶長5年(1600)の関が原の戦いに西軍の総大将となって出陣、一敗地に塗れて八丈島へ流された。
その後小早川秀秋が筑前の国・名島から移って岡山城主となったが、在城わずか2年余りで急死し、後継者がいなかったのでこの家は断絶した。
そのあと姫路城主池田輝政の子、池田忠継に備前一国を与えられ岡山城に入る。
以後池田氏31万5千石の時代が続き明治維新におよんだ。

 岡山城の歴代城主と在城期間は次のとおりである。

 宇喜多直家 天正元年(1573)~9年間
   〃秀家  〃10年(1582)~19年間
 小早川秀秋 慶長5年(1600)~2年間
 池田忠継   〃8年(1603)~13年間
  〃忠雄  元和元年(1615)~17年間
  〃光政  寛永9年(1632)~40年間
  〃綱政  寛文12年(1672)~42年間
  〃継政  正徳4年(1714)~38年間
 池田宗政  宝暦2年(1752)~12年間
  〃治政  明和元年(1764)~30年間
  〃斉政  寛政6年(1794)~39年間
  〃斉敏  天保4年(1833)~9年間
  〃慶政  〃13年(1842)~21年間
  〃茂政  文久3年(1863)~5年間
  〃章政  明治元年(1868)~1年間



門を抜け、坂道を上がると、
天守閣がある本段です。


草原に点点と、礎石が並んでいました、天守閣の礎石です。


天守閣の礎石

天守閣は昭和20年6月の戦災で焼失し、昭和41年に元の位置に鉄筋コンクリートで再建されたため礎石のみをここに移し、元の通りに配置している。



 本段の北端に岡山城天守閣が聳えています。

 真っ白だった姫路城とは真反対の真っ黒な姿をしています。

カラスのような真っ黒い姿、故に、烏城とも呼ばれています。


つづく。


ご開帳と葵祭と姫路城の旅 メニュー
1日目
松山→大阪→長野 1 2

2日目
長野・善光寺 1 2
長野市
戸隠へ
戸隠神社中社
戸隠神社奥社 1 2
戸隠神社宝光社
裾花峡温泉

4日目
京都御苑 1 葵祭
京都御苑 2 3 4
京都散策

5日目
姫路城 1 2 3 4 5
岡山・岡山城 1 2 3
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