日浦の城山へ行こう! 1 二之森へ行こう! 1
2017 / 03 / 12 ( Sun ) 「お山へ行こう!」番外編。
今回は、松山市民の大切な水源、石手川の源流域に位置する日浦地区へ。 ほぼほぼお山ばかりの日浦地区。 お山歩場所には事欠かない地域ですが、いくつか、中世城址を山頂にいただくお山があります。 今回は、城跡も巡りながらのお山歩です。 道後、石手寺、奥道後、石手川ダムと国道317号線を石手川に沿って東上。 国道317号線は水ヶ峠トンネル開通以来、今治やしまなみ海道と松山を結ぶ幹線道路として、 昼も夜もひっきりなしにクルマが往来しています。 まさに現代の今治街道。 僕が子供の頃は、水ヶ峠の手前までしか開通してなくて、道幅も1.5車線くらいしかありませんでした。 友達と数人で、市内から水ヶ峠の行き止まりまで、自転車で行ったことがありました。 小学生の頃だったから、日浦なんて校区外の校区外、もう、大冒険でした。 石手川ダムから奥は、のどかな山村が点在し、あふれるほどの自然に包まれ、 鳥の声と川のせせらぎ、虫の声、風の音、聞こえてくるのも自然由来ばかり。 とにかく静かで、クルマなんて滅多に来ないから、子供だけでワーキャー、ふらふら走っても安全でした。 それがいまでは、まず目に入るのはアスファルトとコンクリート、ポイ捨てゴミ、聞こえてくるのはクルマの騒音。 便利になったのはいいことだし、騒音の一部は僕も荷担してるけど、 行き止まりだった頃を知る自分としては、ちょっと複雑な部分もあったり、なかったり。 さて、以前から、日浦地区のお山は気になってました。 現代の地図には山名がまったく載ってないお山ばっかりですが、明治期の地図にはたくさんの山名が記載されています。 車窓から見えるお山にはほとんど、名前が付いてると思っていいくらいです。 そのなかに、その昔、城や砦があったとされるお山がいくつかあります。 まずは、市街地から一番近いお山、二之森へ向かいます。 ここにあります。 二之森は、神次郎町と梅木町にまたがっていますが、ルート的には上総町からアクセスできます。 神次郎も梅木も上総も、そんな町名、知らな~いって人も多いと思いますが。 ![]() 開通はもう11年前になるんですね、2006年に開通した日浦トンネルへ。 ![]() ![]() 写真中央のお山が二之森です。 ![]() ![]() 国道だった頃に設置された日浦地区の案内板がまだ残ってます。 ![]() ![]() ![]() バスはまだ旧道を経由していて、でも、午前と午後の1便ずつしか来ませんが。 ![]() ![]() ![]() いつの間にか橋、キレイに架け替えられてます。 ![]() ![]() 橋を渡ったら右折し、山道へ。 ![]() 5分ほど、カーブ連続する狭い坂道を登れば、 ![]() ![]() 右の道は、集落の生活道。 ![]() 右に田畑や数軒の民家を見ながら、奥へ。 ![]() ![]() ![]() 集落の一番上にある家の屋根が右に見える辺りに、お山への分岐があります。 ![]() ![]() 普通車なら、この辺りまでかな。 ![]() ![]() 真新しいお堂がありました、上総地蔵堂と名付けられていました。 ![]() 舗装された道じゃない方へ向かいます、コンクリート舗装された道は、山上にある畑への道です。 ![]() ![]() 林の中に入ると、路面はコンクリート舗装に戻りますが、古く、がたがたです。 左は竹林、右の林は近年、伐採された様子で、日が差して明るいです。 ![]() 道の左には小さな沢が流れ、木漏れ日もわずかな小さな谷間です。 この先、タイヤが滑り始めたので、スクーターもここまで。 ここで道は丁字路に分かれます、まっすぐ登る道と、左に分かれる小径とに。 さて、下山後に分かった正しいアドバイスを。 ![]() ![]() このまままっすぐ、道なりに登って行った方が楽で、正解です。 家で地図を見ていたときも、そう登っていこうと思っていたのですが、 ![]() ![]() ![]() 山仕事のために拓かれたようにも見える道。 ![]() ![]() 倒木もあったり、路肩が崩れていたり、しばらく放置されてる小径を登ると、 ![]() ![]() 南斜面の明るい場所に出ました。 ![]() 人工的なものもあったので、なにかの畑、果樹かなにかを栽培してた場所だったのかも。 道はここで終点となりました。 引き返してもよかったけど、地図を見ると登れない距離、高低差ではなかったので、 ![]() ![]() 林の中へ分け入り、直登することにしました。 多分、季節が夏で、草がぼーぼーに生えていたら、きっと引き返して正しい道を進んでいたと思います。 ![]() ![]() やがて結構急な斜面となり、汗をかきました。 ![]() この斜面に城跡っぽい地形は一切ありませんでした。 石垣に使われてたかもしれない、手頃な岩は多少、ごろごろしてたけど。 ![]() ようやく、山頂の南端に着きました。 山頂部分は南北に長い楕円形で、平坦なところはそれほどなく、 ![]() ![]() 地図上に471mの標高点が打たれた二之森山頂です! ![]() 松山市の埋蔵文化財包蔵地図には、「ニ之森(ふたつ森)城跡 城館跡 中世」と記載されています。 正確な地形図ではない明治期の地図『風早郡地図 地誌付』には、「二ッ森山」とあります。 愛媛県教育委員会発刊の『愛媛県中世城館跡』には、ニ之森城は縄張り規模 55×22mとありますが、詳細はありません。 ![]() 正しく楽なルートで下山した様子は次回。 つづく。
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--つづけてください--
はじめまして。 小生も松山市に在住するものですが、里山歩きが好きで、適当なところは無いか、と探していてここのページを知りました。とても、分かりやすく実際歩いてみての報告なので、確実性が高く助かっています。 皿が峰へ家族で上ったときもここを見てから行って、助かりました。身近で知らないところもたくさんあったのだ、とその点も有益です。もっと続けていただけたらと思います。
by: たかはし * 2020/02/04 17:24 * URL [ 編集] | page top↑
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