日浦の城山へ行こう! 3 加名山へ行こう!
2017 / 03 / 12 ( Sun ) 日浦の城跡のあるお山めぐり、次は、加名山です。
ここです。 水口町と河中町にまたがる位置にあります。 『愛媛県中世城館跡』に、「加名山」の名が見られ、明治期の古地図には「古城山」の名が載っています。 地元ではもう別の名前で呼ばれているかもしれません。 山頂には「賀生(かのう)城」という城砦があったそうです。 南北朝時代の武将・脇屋義治にゆかりのあるお城です。 新田義貞の甥にあたる脇屋義治は、南北朝の動乱で敗れた側の勢力に属していた人物で、 落城後、伊予に落ち延び、日浦の里で晩年を安穏に過ごしたとこちらでは伝えられています。 ![]() 日浦の代表的な場所、石手川ダムから水ヶ峠トンネルまでの間で一番、人家が集中して開けている場所は、 水口、河中、藤野と3つの集落が集まっていて、目指す加名山も国道の北側に見えてます。 ![]() ![]() 真南から見ると麓が段々畑、山頂部分にはふたつのピークがあるみたい。 ![]() お山へは、まず、点滅信号のあるガソリンスタンドの手前を、 ![]() ![]() ![]() ![]() ここには入山を規制するチェーンの柱があるので、もしかすると、クルマじゃ入れない日もあるかもしれません。 ご注意下さい。 ![]() ![]() 谷の中へ入って行きます。 ![]() ![]() 写真の丁字路をくぃっと左折します。 ![]() ![]() ![]() ![]() 右に下る道はありますが、山頂は当然、まっすぐ、上り坂へ。 ![]() ![]() 右の斜面に、愛媛県の労働金庫が創立45周年を記念して植樹した旨が書かれた看板がありました。 ![]() ![]() 幅1mくらいの道を歩いて行きます。 ![]() 登り切った場所は、3つの小尾根が分かれる、最高地点脇の中心地。 すぐ左に最高地点がありましたが、まず、一番南にあるピークへ行ってみました。 ![]() ![]() ![]() 平坦地はそんなになくて、砦があったとしても、建てられるのは見張所くらいかなぁ。 ![]() 木々のブラインド越しに国道や集落が見下ろせました。 ![]() ![]() ![]() 中心地に戻って見ると、ちょっとだけ高く、山頂はすぐそこ。 ![]() 加名山の最高地点、標高は375m。 ![]() 小屋が建つほどの平らなところはまったくありません。 北側斜面は思いっきり伐採してあって、このお山で一番、見晴らしがききます。 ![]() ![]() ![]() 東に延びる尾根にも行けそうだったので、足を延ばしてみました。 ![]() 以上、古城山の山頂でした。 スクーターを駐めた峠みたいな場所に戻り、下山しようと支度してたら、 ![]() 祠が倒壊しちゃったみたいで、屋根も崩れ落ちてました。 右のお地蔵様は胸元で割れちゃってました。 雨ざらしもかわいそうなので、お地蔵様を立て直し、後ろのタケにトタンを立て掛けて屋根にしておきました。 国道が開通するずっと以前、市内や伊台、道後を結ぶ道があちらこちらにあり、 峠のような場所には必ずお地蔵様がいて、旅人の往来を見守っていました。 忘れ去られた道に置き去り状態のお地蔵様を、上総地蔵堂みたいにまとめてあげられたらいいのにね。 下山は、元来た道を戻ります。 つづく。
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