青春18きっぷ旅 4 東北旅 6日目 1 花巻→平泉 1 中尊寺
2017 / 04 / 10 ( Mon ) ![]() ![]() 今朝も5時すぎに、外が明るくなって自然に目が覚めました。 ![]() ![]() ![]() 裏の方にも、なにかあるみたいだったので、身支度を調え、南へ出発する前に、寄り道してみました。 ![]() ![]() 東北本線の線路と北上川の間の田んぼに、見事な「たんぼアート」がありました。 ![]() 6時頃出発。 早朝の国道4号線は、大型車も多かったけど、空いてて、快適に距離を稼げました。 花巻市街地に入ったとき、「宮澤賢治資料館」の文字に惹かれ、一瞬、行きかけたけど、 開館時間まで1時間以上あったので、やめました。 7時45分頃、今日、ひとつめの目的地、平泉の中尊寺に到着しました。 無料で駐車できるところがないかと思って、坂を上がったりしたけど、有料ばかりか、上の駐車場ほど高い。 ![]() 平泉に入った辺りから、雨っぽくなってきていました。 傘を差すほどではなかったけれど、一応、ポケットに折りたたみ傘を入れて、クルマから出ました。 ![]() ![]() ![]() 8時前だったから、参拝者はまばらでした。 ![]() ![]() 最初から、なかなかの上り坂です、特に入り口は急坂。 上に行くほど、駐車料金が高かったわけがすぐに分かりました。 ![]() ![]() ![]() 左側に建物が見えたので行ってみたら、裏道のような狭い上り坂があって、少し先に、 ![]() そのまま、裏道坂を登ってくと、 ![]() 写真の山門のような場所を過ぎると、 ![]() ![]() ![]() ![]() 源義経と武蔵坊弁慶の木像が安置されていて、武蔵坊弁慶は有名な立ち往生姿の像なんだそうです。 ![]() ![]() ![]() もやのようなものが木立に漂い、厳かな雰囲気を醸し出していました。 ![]() ![]() お堂が建ち並ぶエリアに入ってきました。 ![]() ![]() 左にあったのは、「薬師堂」。 ![]() 左に願成就院の建物を見ながら少し進むと、 ![]() 中尊寺本堂の入口、本坊表門がありました。 ![]() 表門をくぐって境内へ。 ![]() ![]() ![]() ![]() 金色の阿弥陀如来さまがいらっしゃいます、合掌。 比叡山延暦寺から分燈された「不滅の法燈」もあるそうです。 中尊寺と云えば、金色堂が有名ですが、中尊寺における法要や儀式、様々な行事は、この本堂で行われているそうです。 ![]() ![]() 寺務所横の門を抜けると、 ![]() 道をはさんだところに、「峯薬師堂」がありました。 ![]() ![]() 「峯薬師堂」。 表参道をはさんで、峯薬師堂の向かいにあったのが、 ![]() ![]() 赤い柱がポイントの「不動堂」。 ![]() ![]() ![]() 青いTシャツ姿のスタッフさんたちが大勢で、箒を手に参道を掃き清めていました。 ![]() お掃除されてたスタッフさんに、朝の挨拶を交わして通り過ぎると、 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 入口右側の発行所で、金色堂と讃衡蔵の2カ所を拝観できる共通券を買い求めます。 大人は800円です。 ![]() 讃衡蔵は、平安期の諸仏、国宝中尊寺経、奥州藤原氏の御遺体の副葬品など、 奥州藤原氏の残した文化財3000点あまりを収蔵する宝物館です。 入ってすぐ、畳敷きの広間があって、奥の高段に鎮座する三体の仏様、丈六仏がお迎えしてくれます。 大日如来坐像、騎師文殊菩薩像、千手観音菩薩立像など、平安後期作の仏像のオンパレード。 金字で書かれた金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅(漢字がいっぱい (>_<) 、紺紙金銀字交書一切経、 栄華を誇った藤原氏ならでこその、金色の経典も展示してありました。 千手観音像を間近に見たとき、一瞬でとてもありがたい気持ちになって、動けなくなりました。 はらはらと、旅の穢が落ちていく、そんな不思議な心持ちになりました。 いろんなお寺、神社を参拝してきましたが、なかなか、こんな出会いはありません、有り難かったです。 ![]() では、いよいよ、国宝「金色堂」へ。 ![]() ![]() ※金色堂の撮影は禁止、一枚もありません、すみません <(_ _)> 参道奥の建物は、金色堂ではなく、雨風や盗賊、あらゆるものから護るために金色堂をすっぽり覆う「覆堂」です。 金色堂へまっすぐ続く参道は一般は通行できません、右手にある、 ![]() ![]() 中に入ります。 ![]() ![]() 子供の頃から、写真で見る金色堂は、なぜ金色じゃないの?って、ずっと思ってました。 金色に輝く…、って、金閣寺の方が真っ金金じゃんっ!って。 写真に写っていたのは、金色堂じゃない、金色堂を覆っていたお堂だったことに、このあと、驚愕するのでした。 ![]() ホントに金色に輝く金色堂の姿は、オフィシャルサイトへ。 → 関山 中尊寺/金色堂 金色堂は、初代・藤原清衡が極楽浄土の再現を目的に、天治元年(1124)に建立されました。 平安時代に中尊寺が建立された時から唯一、現代まで残っている、とても貴重な阿弥陀堂です 覆堂に収まるサイズなので、田舎の神社くらいのコンパクトなお堂なのですが、 屋根以外、基礎の柱から天井から、壁も扉も床も、みな金箔で覆われた上に、螺鈿(夜光貝)細工が細部まで施され、 さらには、堂内の須弥壇や装飾もみな、金箔、螺鈿づくしです。 須弥壇の上には、中央に阿弥陀如来、その両脇に観音勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、増長天が、 みんな、黄金色に輝いてこちらを向いておられます。 極楽浄土の表現を追求した結果、金色の輝きの中にそれを見いだした、まさに至宝、国宝中の国宝です。 あの金閣寺がただの金メッキに思えたくらい、感動しました。 金やその価値に対してではなく、金が放つまばゆい輝きに感動したのは、正直、今回が初めてでした。 一言で云えば、有り難い。 金色のまばゆい輝きに極楽浄土を見た昔の人はいまよりもっと有り難かったでしょうね。 お堂の下には、初代の藤原清衡公、二代の基衡公、三代の秀衡公の棺が安置されています。 故に、写真撮影が禁止されているのです。 入堂直後に預けておいた御朱印帳を引き取った後、仏様に向かって合掌、覆堂を出ました。 このあとの予定がなくて、ゆっくり座れる椅子でもあったら、ずっと観てたかったなぁ…。 ![]() 金色堂を観たあとでは、いろんなものが色褪せて見えるわぁ。 ![]() ![]() 木立の参道に出て、左上に、「関山天満宮」。 ![]() ![]() ![]() 松尾芭蕉の奥の細道の碑。 「五月雨の降のこしてや光堂」。 ![]() ![]() こちらは旧の「覆堂」、さっき見た金色堂の覆堂は昭和38年に建てられたもので、役目を譲り、こちらに移築されました。 ![]() ![]() 正応元年(1288)、金色堂を護るため、鎌倉幕府によって建てられたそうです。 以来、600年以上、金色堂を護ってきたのです、重要文化財指定も納得です。 順路的には、ここが最深部、最高地点。 ![]() ![]() 金色堂前の広い参道に戻ってきました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 「弁財天堂」。 お寺の歴史を紐解いたとき、よく「七堂伽藍」と云う言葉を目にします。 宗派によって異なりますが、「七堂」とは、塔、金堂、講堂、鐘楼、経蔵、僧房、食堂、 「伽藍」とは、お寺の主要な建物のことで、主要な設備が整っている姿を七堂伽藍と云います。 往時の政権や地方の豪族に庇護された寺社は、七堂伽藍が揃うことなんか当たり前で、 百を超える建物を所有しているところもざらにありました。 いま、そんな大規模なお寺はほとんどありません。 七堂伽藍が当たり前に揃った、往時の寺社の姿をいまにとどめている点でも、中尊寺は貴重だと思いました。 ![]() 「東物見台」との名前はあとで知りました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 平泉は、田園が拡がり、Googleマップで見ても緑豊か、山青く、潤いに満ちた里でした。 ![]() ![]() 当然、訪れたであろう、西行の歌碑。 「聞きもせずたばしね山の桜ばな 吉野の外にかかるべしとは」 ![]() 1時半くらいの滞在でした。 御朱印は金色堂でいただいたのみでした。 ほかのお堂でもいただけるそうなので、全部で10は超えるかも(お代も×10だけど)。 つづく。 青春18きっぷ旅 4 東北旅 目次 1日目 松山→岡山 / 岡山→名古屋 2日目 名古屋リニア・鉄道館 / 名古屋城 / 名古屋フェリー埠頭→ 3日目 フェリーいしかり / 仙台 4日目 仙台→松島 西行戻しの松公園 / 松島 1 五大堂 / 松島 2 瑞巌寺 / 松島 3 松島湾一周 / 石巻→南三陸 / 奇跡の一本松→夏虫のお湯っこ→宮古 5日目 浄土浜 / 龍泉洞 / 堀内駅→小袖漁港 / 小袖漁港 / 久慈 / 久慈→盛岡→花巻 6日目 花巻→平泉 1 中尊寺 / 平泉 2 毛越寺 / 仙台 1 瑞鳳殿 / 仙台 2 竜泉寺の湯 7日目 仙台→ フェリーきそ 8日目 →名古屋→大阪 9日目 京都 1 金閣寺 / 京都 2 晴明神社 / 四条通~清水寺 / 京都→大阪 10日目 大阪→ 高松→松山
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