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夏旅 5 九州旅 6日目 1 熊本・道の駅 泗水→熊本城
2017 / 10 / 06 ( Fri )


夏旅、6日目の朝は、熊本県菊池市にある道の駅「泗水 養生市場」で迎えました。

昨夜、アイドリングしっぱなしのクルマが多かったせいで寝付けず、
隣の公民館の駐車場に非難、
台風接近で避難所として機能してた公民館のスタッフさんに断り、
車中泊させてもらいました。

おかげで、昨晩はよく寝られた気がします。

公民館の駐車場。

昨日の旅程を散々に狂わせてくれた台風12号は、深夜1時に長崎に上陸、縦断しました。

台風が持ち込んだ熱気のせいで、昨夜は蒸し暑かったけど、
長崎に台風が上陸した真夜中、雨が降ってきて一気に気温が低下、
肌寒くて一度、目が覚めました。

道の駅の上空の空にはまだ、台風が連れてきた厚い雲が足早に流れていました。

ちなみに、まもなく台風は、対馬近海で熱帯低気圧に変わってしまいました。


洗顔ついでに、道の駅を散策。

道の駅の施設の後背に、中華っぽい建物が建っていました。

 道の駅の隣は「孔子公園」でした。

なぜ、孔子?

太極拳する人がいたら、もう、中国じゃん、って感じの公園です。

 橋。

 台風のせいで規制され、上がれませんでした。

孔子の名言集的存在『論語』から引用した言葉があちこちに。


「人無遠慮 必有近憂」
人は遠い将来のことまで考えておかないと、必ず手身近なところで心配が起こったりするものだ。

僕は普段、常に、ゴール、完成形を頭に思い浮かべながら働く、職人的な仕事をしているので、
この「人無遠慮 必有近憂」が一番、心に残りました。


さて、なせ、孔子なのか、と云うことですが。

ここ、道の駅泗水がある場所は、平成の大合併前は、泗水町と呼ばれていました。

明治時代、この地域は合志郡に属していましたが、その“合志”と韻が似てる“孔子”をかけ、
孔子生誕の地とされる中国山東省泗水県にちなみ、泗水村と命名されたんだそうです。

それで、孔子、なんだそうですよ。

 中華な朝でした。


大体が昨夜から駐まってるクルマたち。

支度を整え、7時、出発しました。

 昨夜、入浴した「とよみずの湯」。


一路、熊本市内へ。

朝ですから、市街地に近づくほどに通勤渋滞に呑み込まれて行きました。

途中、カーナビ搭載の道路情報が古くて遠回りもしたり、のろのろと、なかなか進めません。

でも、その分、初めて来た熊本の街をチラ見できる時間ができました。


熊本はこの年の4月14日と16日、震度7を記録する大地震に見舞われました。

この日は地震からまだ5ヶ月しか経っていませんでしたが、国道沿いの街並みは普通に見えました。

ときどき、屋根にブルーシートを掛けた家や、家並みの間にぽつんと更地があったりする程度でした。

前の年、東日本大震災に見舞われた東北太平洋沿岸を旅したときに見た、復興途中の被災地の光景を思い出し、
いくらか覚悟して来たんだけど、熊本市内は、地震なんてなかったかのような日常を過ごしているかに見えました。

でも、本日ひとつ目の目的地、熊本城にたどり着いた途端、震災の爪痕が次々と目に飛び込んできました。

北側の新堀跡からクルマで入ってすぐ、崩れた石垣や白壁がはがれた櫓がありました。

二の丸にある駐車場にたどり着く間、崩落した石垣が緑濃い林の中に点在していました。

石垣も重要文化財の一部、民家のように右から左へ片付けることも直すこともできず、
震災当時のままの姿をとどめていました。

一段高いところにある、広々とした二の丸駐車場。

薄日が差してきた駐車場に降り立つと、観光客のものらしいクルマはまばらで、
工事業者や市や県の職員らしい人たちが乗ってきた軽トラやワゴン車がトイレ前の駐車区画を占拠していました。

奥に事務所があり、ヘルメットをかぶった人たちが慌ただしく出入りしていました。

熊本城復興に向けてようやく動き始めた、その活気が伝わる現場がそこにありました。

 トイレの屋根にブルーシート。


二の丸駐車場から本丸への入口、西大手御門方面は封鎖されていました。


バリケードから奥を覗くと、御門前の石垣が派手に崩れているのが見えました。


城内はほとんどの部分が立ち入り禁止になっていて、加藤神社までしか近づけないのでした。

緑地公園のような二の丸広場を、規制フェンスに沿って歩いて行きました。

 やがて、天守が見えてきました。
写真左から、宇土櫓、小天守、大天守。

あれが熊本城かぁ…。

もう何十年もずっと来たかった熊本城。

やっと来られて、背中がぞくぞくするほど感動していたのですが…。

 宇土櫓の外観は一見、被害がないように見えました。

 大天守も遠目には大丈夫そうでしたが、

アップにすると、屋根瓦がはがれ落ちていたり、瓦礫のように粉々になってるのが確認できました。

生まれて初めて来た熊本城、その天守は被災し、痛々しい姿になっていることは、とうに分かっていたけれど、
テレビで見るのと生で見るのとは、全然、違います。

一瞬で言葉を失わせるほど、哀しい迫力がありました。

胸がつかえるような想いで歩き始めると、
西の出丸の長塀と石垣がざわざわと崩れていました。

 崩落した塀と石垣。

西の出丸、戌亥櫓のある角。


戌亥櫓は足下の石垣が崩落、角の石積みだけで櫓を支えている、奇跡の状態でした。

明治10年(1877)の西南戦争後に解体され、平成15年(2003)に復元されたばかりだった戌亥櫓。


石垣のなかの栗石と呼ばれる小石も露わになっていて、悲痛な姿ではあるけど、
普段は絶対、見ることができない、石垣内部の構造が見られたことは、不幸中の幸いでした。

 角にあった「西南戦争籠城将校家族避難跡」。
文字通り、西南戦争の際、熊本城に籠城した明治政府側の将校の妻子が、弾丸の飛来を避けるため、
この空堀の中に天幕を張って避難したんだそうです。

当時の熊本には、熊本鎮台と呼ばれる陸軍部隊が駐屯していましたが、
西郷隆盛率いる反乱士族の軍団が熊本に侵入、数が劣っていた鎮台は熊本城に籠城しました。

築城名手・加藤清正によって築城された熊本城は、清正が実戦で得た攻城・籠城戦のノウハウをすべてつぎ込み、
日本一の難攻不落の城との呼び名も高い名城でした。

けれど、天守が完成したのは、関ヶ原の戦いがあった年でしたから、
難攻不落の真価が問われた戦いは、270年後の西南戦争での籠城戦が初めてでした。

官軍自らが放火したとみられる火災によって天守は焼け落ちてしまいましたが、
2ヶ月間に及んだ籠城戦では、西郷軍は誰一人、城内に侵入することもできなかったんだそう。

 春はサクラが咲き誇ってキレイだろう通りを進みます。

戌亥櫓を振り返って見たら、

角の石垣、なんとも見事な支えっぷりで、驚きました。

後日、石垣について調査が行われた結果、清正時代に築かれた石垣の被害は小さかったそうです。

ほぼ一定の傾斜角度で積まれた、後世に復元された石垣は、地震時、石を外に大きく押し出す力が発生しました。

一方、清正は、高くなるほど、傾斜が急になる「武者返し」と呼ばれる曲線状に石を積んでいたのですが、
地震の揺れで生じた力は石垣の面に沿う形となり、石が抑え合った結果、崩落を免れた石垣が多かったんだそうです。

戦国時代だって日本は地震国でしたから、崩れにくい石垣を当時の人たちも追い求めていたに違いありません。

石積みの文化・技術が頂点を迎えた時代に築城されたのが、熊本城でした。

故に、400年もの長きにわたって風雪にも耐え、2度の震度7の大地震にも耐えられたのでしょう。

 けれど、このように内部の栗石があふれ出したような崩落は、
本来、免震構造材として用いられた栗石は、弱い揺れだと、エネルギーを吸収するのですが、
強い揺れだと液体のように暴れだしてしまい、栗石同士の隙間がつまって沈下、外圧が発生してあふれ出たんだそう。

熊本地震が、清正当時の石工集団も経験したことがなかった、大きな地震だったから分かったことで、
今度の震災で得た教訓、石垣修復の最新技術は、今後、各地の石垣修復事業にも活かされていくことになるでしょう。

現代の石工集団の技術力が試される場面なんか、二度と来ないことを望むばかりですが。


丁字路を右折して西出丸へ向かいます。


右側は、西出丸の空堀、とても幅広。

 左側は、人名が付いた坂「棒庵坂」。

西出丸に入る直前、クランク状の虎口に石垣が組まれていますが、

脇の石垣は崩落していました。

 虎口内部は大きな土嚢が積まれてました。
栗石が沈下して石垣が膨らむ現象が起きていたのかも知れません。

 低い石垣も崩れてます。


天守入口に向かう通路にでましたが、天守方面には行けなくなっています。


通路に出てすぐ左に、加藤神社がありました。

規制線から見た、天守方面。

 奥に見える西大手御門。
 こちらも角の石垣が倒壊を食い止めていました。

 内堀を経てそびえる宇土櫓。


土塀も壁も損傷していました。


加藤神社からは天守を一番間近に見ることができました。


はがれ落ちた瓦も鮮明に。


加藤神社境内へ。


狛犬コレクション。


境内中央に大きなご神木、左に社務所。

本殿の前、右はお守り授与所。

 参拝へ。

 2礼2拍手1礼。

 「清正公の旗立石」。


社務所で御朱印、いただきました。

 くまモンだるまと募金箱。
僕も気持ち、ちょこっと、寄付させていただきました。

 境内は、天主の撮影ポイントになっています。


境内横から見える大小天主と宇土櫓。


天主から宇土櫓に至る石垣も崩落。


天主と石垣が接する場所も隙間ができたり、穴が開いていたりしていました。

 天主が倒壊しなかったのが不思議。


小天守の屋根、シャチホコがいまにも落ちそう。

 大天守の最上層、ガラス戸?

恥ずかしいことなんですが、熊本城が昭和に再建されたものだったなんて、この時点まで知りませんでした。

何十年も来たかった割に。

先にも述べましたが、西南戦争での籠城戦で、立て籠もった官軍自らが放火し、天主は焼け落ちたとされています。

西南戦争終結後、そのほかの櫓も次々に破却されました。

昭和35年(1960)、熊本国体開催と築城350年を契機に、一般からの寄付含め1億8000万円の費用をかけ、再建。

昭和のお城らしく、鉄筋コンクリート造りです。

平成19年(2007)の築城400年には、本丸御殿や西出丸の塀、戌亥櫓など多数、復元工事が行われました。


瓦が落ちた大天守。

瓦がはげ落ちた様は痛々しい感じがしますが、重たい瓦がはがれて落下することで、屋根の重量が幾分軽減されるので、
地震後の姿としては、この痛々しさが正しい姿だったりします。

現代の建築基準法では、瓦は落下しないよう、屋根に固定しなければなりません。


とてもとても名残惜しかったけど、ご神木にも挨拶して、境内をあとにしました。

 宇土櫓下の深い堀。
この堀を攻めて天主にたどり着くなんて、命がいくつあったって足りないわ。


帰路、来た道を戻りましたが、

 崩落した石垣をもう一度じっくり見ながら帰りました。


西大手御門付近の崩れた石垣。


なお、ここまで紹介した熊本城の姿は訪問時のものです。

現在は最新技術が導入された修復作業が行われていて、鉄骨の櫓で支えながらの解体作業が行われています。

元の姿に戻るまで、最低20年は掛かる見込みだそうです。

僕もいい歳なので、よみがえった天主に再開できる日を元気で迎えられるといいなぁ、が本音だったりします。


天主に行けない状況でも、駐車場には次から次にクルマが出入りしていました。

城内のあちらこちらで観光客の道案内されてるボランティアさんがいて、みなさん、笑顔で対応されてて、
その姿が、地震なんかに負けないぞって、とても力強く見えたのが印象的な、熊本城でした。


次の目的地、「水前寺成趣園」目指して出発。


つづく。


夏旅 5 九州旅 目次

1日目
 松山→

2日目
 小倉港→宗像大社→マリンワールド
 太宰府天満宮→佐賀神埼

3日目
 佐賀神埼→祐徳稲荷神社→長崎

4日目
 長崎・軍艦島
 長崎市内観光→水族館→雲仙→島原

5日目
 島原・道の駅 みずなし本陣ふかえ・土石流被災家屋保存公園
 島原・原城跡
 島原・島原城
 島原→雲仙多良シーライン→佐賀城
 佐賀→三池炭鉱→道の駅 泗水

6日目
 熊本・道の駅 泗水→熊本城
 水前寺成趣園→球磨川
 球泉洞
 球磨→鹿児島

7日目
 鹿児島・多賀山公園→霧島神宮
 鹿児島市内・仙巌園→南州公園→鹿児島城跡
 鹿児島・知覧平和公園
 鹿児島・指宿

8日目
 鹿児島・山川港→フェリー→根占港
 鹿児島・佐多岬
 鹿児島・鹿屋航空基地
 宮崎・鵜戸神宮→極楽の湯→道の駅つの

9日目
 高千穂 1 高千穂峡
 高千穂 2 高千穂神社 天真名井
 高千穂 3 天岩戸神社 天安河原
 阿蘇→筋湯温泉→大分・湯布院

10日目
 大分・湯布院→九重夢大吊橋
 大分・宇佐神宮
 大分・中津 中津城→耶馬溪
 福岡・英彦山神宮
 福岡・小倉→愛媛・松山
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