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夏旅 5 九州旅 7日目 3 鹿児島・知覧平和公園
2017 / 10 / 07 ( Sat )


鹿児島市内の代表的な観光地を美味しいとこだけつまみ食いして、一気に南下。

目指すは、知覧。

広い産業道路を走り、かつ屋に立ち寄り、エビヒレメンチ丼で昼食。

街並みが一旦途切れ、再び現れた平川の集落から海岸線沿いと分かれ、内陸へ。

山間の道を駆け抜け、ゆるゆる、南下していたら、
さっきまで真夏のようにあんなに照りつけていた太陽が雲に段々と遮られるようになりました。

南へ行くほどに雲も厚くなって、まさに、雲行きが怪しい、状態。

やがて、道は谷を抜けました。

遠望を遮っていた山並みが後方に引き下がり、視界が開けてきました。

広大な盆地の中に豊かな田園地帯が拡がる、目指す知覧でした。

頭上の雲が濃い灰色をまとい始め、ついにぱらっとフロントガラスに雨粒が落ちてきました。

短い間でしたが、ワイパーをかけました。


知覧入りして程なく、「知覧平和公園」に到着。

 公園裏手の駐車場へ。


裏の駐車場だって気がついたのは、歩き出してからで、
 撮影を兼ねて正面へ移動。

知覧平和公園は、陸上競技場や球場、サッカー場など運動施設を備えた大型総合公園で、
春は桜並木がとてもキレイだそうです。

その平和公園のシンボル的存在が「知覧特攻平和会館」で、
陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。

ここは元々、第二次世界大戦直前に建造された、陸軍の知覧飛行場があった場所です。

知覧飛行場からは、戦争末期、特攻機が数多く飛び立って行きました。

そしてほぼ、二度と帰還することはありませんでした。

特攻とは、敵に体当たりして自爆する、十死零生、死を前提とした行われた特別攻撃のことです。

戦争という狂気の沙汰が産み落とした、まさに必死の作戦で若き命を散らした特別攻撃隊員らを回顧し、
同じような悲劇が二度と繰り返されてはならない、その強い想いで建設された施設です。

会館に至るプロムナードには、特攻にまつわるモニュメントが点在しています。


 ”特攻の母”として知られる鳥濱トメさんの視点から、若き特攻隊員の無残にも美しい青春を描いた、映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」(2007年5月12日公開作品、製作総指揮・石原慎太郎)で実際の撮影に使用された「隼」。

一式戦闘機「隼」

 大東亜戦争(戦後は太平洋戦争ともいう。)において、陸軍の主力戦闘機として活躍した一式戦闘機「隼」Ⅲ型甲をモデルに当時の資料や少飛会の意見を取り入れて忠実に復元製作された。

 「隼」は当時知覧の特攻基地からは九七式戦闘機に次いで多い120機が飛び立っている。




特攻像 「とこしえに」の由来

特攻機は、遂に帰って来ませんでした。
国を思い、父母を思い、永遠の平和を願いながら、勇士は征ったにちがいありません。

特攻像「とこしえに」は全国の心ある人々によって建てられました。

み霊のとこしえに安からんことを祈りつつ、
りりしい姿を永久に伝えたい心をこめて
ああ
開聞の南に消えた勇士よ





平和会館正面。

今回の九州旅で、一番行きたかった場所が、ここ、知覧特攻平和会館でした。


思い出の地・長野を訪ねた第1回の夏旅の際、鈍行列車の長旅のお供にと、
『永遠の0』と云う本をチョイスしました。

映画化もされた『永遠の0』は、必ず生きて帰ると約束しつつ、
自ら特攻に志願して命を落とした祖父の謎の軌跡を、
戦友らの視点でたどりつつ、戦争の哀しい現実、悲惨さを描いた小説です。

青春18きっぷで一日中、電車に乗って旅をするんだし、
厚めの本がいいだろうと、気軽に選んだのですが、
景色そっちのけで集中してしまうほどでした。

後半などは、もう、感動で涙がこぼれそうになってしまい、
混んだ車中では読めないと、一旦、本を閉じました。

長野へは十数年前、とてもお世話になった方々に逢いに行く旅でしたが、
あまりにもご無沙汰してしまっていたので、気が引けてしまい、
直前まで、再会をためらう気持ちがありました。

でも、生きて還えることがなかった兵士、特攻隊員らの物語に心が激しく揺さぶられ、
時代は違うけれど、交通事故や病気など、急に命を落とすことは普通にある…、
会えるときに会っておかないとダメだ!
と云う気持ちに変り、結果、うれしい再会を果たすことができました。

平和会館のことは、『永遠の0』を読む前から知ってはいました。

でも、訪ねたい気持ちがどうしようもなく高まったのは、『永遠の0』からでした。


会館内は写真撮影禁止、文字でしか感動を伝えることができません。

貴重な遺品や資料の滅失散逸を防ぎ、史実を後世に正しく伝えることが目的で、
元特攻隊員だった初代館長の板津忠正さんが集めた、
写真、遺書などの遺品約4,500点、特攻隊員の遺影1,036柱などが展示されています。

世界恒久平和を願って建てられた施設であって、
決して、戦争を賛美する施設ではありません。

海外からの観光客も多く訪れています。

戦争中、筆舌に尽くしがたい多大な迷惑をかけたアジア各国からの観光客の姿もありました。

正直、戦争・侵略を賛美する施設ではないと、正確に伝わって欲しいと願うばかりですが。


観光バスも来るし、次から次に観覧者が訪れる様にまず驚きました。

やはり、『永遠の0』ブームはあったようで、宮崎駿監督の「風立ちぬ」も影響大だったそうで、
特攻隊員らと同年代、10代後半から20代の若者らの来館も増えたそうです。

訪問時も、カップルだろう姿がちらほら。


売店や休憩スペースがあるロビーは、知覧飛行場の歴史を紹介する映像も見ることができます。

ロビー正面に、展示室への出入り口があるのですが、
展示室に入る前の人と、出てきた人の表情が違うことに気づいてしまいました。

映画館のロービーで上映時間を待ってる人と、映画が済んでロビーに出てきた人たちの、
顔つきの違いに近いかなぁ、上手く云えないけど。


最初の展示室は、遺品室(中央展示室)。

部屋の中央には、実物大の復元機「隼」がありました。

左右の壁には、陸軍沖縄特攻作戦で亡くなった1036名の隊員の遺影が、
出撃戦死した日付順に並んでいます。

たくさんの遺影が遺されていることに驚くとともに、みな若々しくて凜々しい面影で、
彼らはもう、この世の人ではない、そう思った瞬間、胸がつまってしまいました。

その下に、家族・知人に残した遺書・手紙・辞世・絶筆などが展示してあります。

遺書はほとんど、最後まで読み通すことができませんでした。

どの遺書も、書き出しの数行で、目頭が熱くなり、
わっとあふれてきた涙がぼたぼたとこぼれそうになってしまうからです。

家族や友人知人に宛てた最後の手紙、つまりは遺書なのですが、
これから死に征く若者たちが、最高の思い出を振り返り、
あのときはありがとうございました、と、
死の間際に、ただただ、感謝の言葉を書き連ねているのです。

弱音を吐いたり、時代や国家への恨み辛み、自分の立ち位置を悲観するような文面はほとんどありません。

当時は検閲などもあり、思いの儘に書けなかったのは確かですが、
旗を振って出征を見送ってくれた人たちに、文字の上からでも、みっともない姿を見せたくない、
散り際、死に際を綺麗して征こうとする、日本人ならではの美意識がそうさせたのかも知れません。

もしくは、伝えたいことを思案し尽くしたら、
相手の幸せを願うことと、感謝の言葉に行き着いたのかも。

死直前の恐怖心や苦しみ哀しみが大切な人に伝播しないように、そんな心遣いもあっただろうし、
ただただ、死に征く若者たちの気概に胸が熱くなりました。


ハンカチを手に、感動を隠さない人もいましたし、
館内は、泣く人を笑うような空気はどこにも、誰にもありませんでした。

でも、やはり気恥ずかしくて、ただただ涙をこらえて、展示品を見て回りましたが、

「まだ幼い妹をよろしく頼みます」

この一文を目にした瞬間は、さすがに涙を我慢することができませんでした。


隣の部屋には、陸軍四式戦闘機「疾風」が展示されていました。

米軍がフィリピンで入手した機体で、戦後、日本のとある業者が買い取り、知覧へ。


別の部屋には、海から引き揚げられた海軍零式艦上戦闘機、通称・零戦もありました。
 あとで、窓の外から撮影しました。


35年間、海中で眠っていたそうで、翼より後ろが失われた姿で展示してありました。

哀れな姿でしたが、『永遠の0』のもうひとりの主人公・零戦の実物に初めて出会え、めっちゃ感動しました。


そのほか、西南の役から大東亜戦争まで、日本の陸海軍の戦史資料が展示された、
戦史資料展示室などもありました。


心から訪ねたかった施設だったので、滞在時間ぎりぎりまで見学しました。



外には、三角兵舎と呼ばれる、特攻隊員の宿舎が復元されていました。


出撃前夜は酒を酌み交わして壮行会を行ったり、遺書や手紙を書いたりしたそうです。


こちらは、特攻平和観音堂。

観音像の体内には特攻勇士の芳名を謹記した巻物が奉蔵されているそうです。

境内。


まさに命をかけ、身を挺して日本を、日本国民を、家族を、愛する人たちを守ろうとした特攻隊員たち。

戦争なんかしなくても、もっと別な方法で日本を豊かな国にできただろう、
明るい未来への原動力になり得たに違いない若者たちです。

軍上層部、少なくとも、特攻作戦を立案した人たちは、
戦後のビジョンなんか、欠片も持ち合わせていなかったのでしょうね。


ことさらに平和を訴えるわけでもなく、善悪にも触れず、特攻隊員らの事実だけを追い、
ただ淡々と散っていった命に誠実に向き合っている展示は、とても清廉でした。


見学中、激しい雨が降りました。

多くの見学者が、とどろいた雷鳴に振り返り、一瞬、感動から目をそらして、
呆然と窓の外を眺めていました。

泣けないみんなの代わりに空が泣いてくれているかのような雨でした。

幸いながら、雨は長く続かず、どこかへ去って行きました。

お昼にかけての蒸し暑さが招いた通り雨だったのでしょう。

 クルマに戻ったときには完全にやんでいました。

知覧を離れ、南へクルマを走らせたのですが、
知覧特攻平和会館で受けた感動は、思い出し笑い、みたいに、
思い出し涙となって、しばらく続きました。


つづく。


夏旅 5 九州旅 目次

1日目
 松山→

2日目
 小倉港→宗像大社→マリンワールド
 太宰府天満宮→佐賀神埼

3日目
 佐賀神埼→祐徳稲荷神社→長崎

4日目
 長崎・軍艦島
 長崎市内観光→水族館→雲仙→島原

5日目
 島原・道の駅 みずなし本陣ふかえ・土石流被災家屋保存公園
 島原・原城跡
 島原・島原城
 島原→雲仙多良シーライン→佐賀城
 佐賀→三池炭鉱→道の駅 泗水

6日目
 熊本・道の駅 泗水→熊本城
 水前寺成趣園→球磨川
 球泉洞
 球磨→鹿児島

7日目
 鹿児島・多賀山公園→霧島神宮
 鹿児島市内・仙巌園→南州公園→鹿児島城跡
 鹿児島・知覧平和公園
 鹿児島・指宿

8日目
 鹿児島・山川港→フェリー→根占港
 鹿児島・佐多岬
 鹿児島・鹿屋航空基地
 宮崎・鵜戸神宮→極楽の湯→道の駅つの

9日目
 高千穂 1 高千穂峡
 高千穂 2 高千穂神社 天真名井
 高千穂 3 天岩戸神社 天安河原
 阿蘇→筋湯温泉→大分・湯布院

10日目
 大分・湯布院→九重夢大吊橋
 大分・宇佐神宮
 大分・中津 中津城→耶馬溪
 福岡・英彦山神宮
 福岡・小倉→愛媛・松山
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