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南予遺産の旅 12 鬼北→松野
2017 / 12 / 02 ( Sat )
南予遺産も、残り少なくなってきました。

残るは、鬼北地方と佐田岬エリア。

どっちも遠くて大変そう。

でも、佐田岬の灯台は旅の最後のアイコンにいいかも。

だったら…と、今回は鬼北地方を一気に攻めることにしました。


国道197号線を南下。

197号線沿いは肱川・野村まではゲットしているので、
最初の目的地は、その隣町、城川町です。


予子林の丁字路で県道267号線に左折し、遊子川へ。

3kmほど走ったら、左にくぃっと曲がり、下遊子へ。


谷間にひっそりたたずむような集落の入口にある、
「下遊子の茶堂」が、城川ひとつ目の南予遺産です。

 石仏が祀ってありました。


国道に戻り、うんと走って、嘉喜尾の丁字路へ。

野村方面へ向かう県道35号線に右折。

5kmほど走ったら、右の南向きの斜面に段々畑が連なっています。

段々畑が南予遺産です。

撮影場所を求めて、上の方まで行ってみました。

 「堂の坂の棚田」です。
「日本の棚田百選」にも選ばれています。


次は、県道を少し戻ります。

「竜沢寺緑地公園→」の標識を右折し、南の谷へ。


道なりに進めば、龍澤寺(竜沢寺)に到着します。

市指定 有形文化財(建造物) 曹洞宗龍澤寺の沿革

所在 西予市城川町魚成
指定 昭和38年3月22日(名勝)
指定 平成15年3月25日(建造物)

 禹門山龍澤寺は末寺五十六ヶ寺に及ぶ曹洞宗総持寺派中本山の巨刹である。
創基は鎌倉時代の末期元享3年(1323)。
地方の豪族中尾坂城主平采正吉貞の発願により徳翁正呈禅師が開山し、龍天寺と号して古奈良谷にあった。
(南方3キロメートルの山上)

 その後約百年鹿児島藩主島津元久(7代)の長男仲翁守邦禅師(幼名梅寿丸)来って再興し中興開山となる。
さらに時を経て現在の位置に寺を移し龍澤寺と改号したのは康正元年(1455)のことである。
この時の住職蒲庵和尚が、龍ヶ森城主魚成豊後平通親の協力によって七堂伽藍を交える今日の規模を見たのである。

 時代はその後変遷。
戦国乱世の時代から豊臣・徳川そして明治へと目まぐるしく移り変わったが、守邦禅師以後引き続いて高徳の名僧が晋山宗門の興隆に尽したため、南予一円から松山・土佐(高知県)にまで末寺を持ち、その数56ヶ寺に及び歴代の豪族や領主の尊崇と保護を得て寺威をつなぎ来った訳である。

 偃月橋・仁王門・山門・鎮守堂・禅堂・庫裡・本堂・開山堂・接寶・一義堂・方丈・新方丈(一本杉で建立)・経蔵・浴室等諸堂完備の県下最大の精舎である。

 平成元年12月新四国曼荼羅霊場開創51番札所となる。

 本尊に釈迦如来、鎮守で成王瀬権現である。





屋根付き橋を渡ります。


古式ゆかしい仁王門をくぐると、
 石畳の参道があります。
この石畳が南予遺産、「龍澤寺石の延段」です。

延段とは、庭のなかの石張りの通路のことです。

緑地公園は十数年前に一度、見に来たことがあるのですが、
そのときにお寺を参拝した記憶がありません。

安全に旅ができるよう、参拝してみました。


楼門のような造りの山門。

 本堂まで、もちっと石段を登ります。

 中雀門をくぐって、本堂の前庭へ。


門の左右は、境内左右にある建物に通じる通路になっています。


石橋を渡って本堂へ。

本堂入口は閉まっているので、戸を開けて入ります。

 旅の無事をお願い、合掌。


扉の内側は左右に土間の通路、長い廊下がありました。


山門、延段と下り、
 橋を渡ってバイクに戻りました。


と云うわけで、城川町の南予遺産をすべて廻り終えました。

南予遺産カード配布施設は、国道沿いの、
 道の駅「きなはい屋しろかわ」です。
売店のレジでいただきました。


南予遺産カードナンバー58 「下遊子の茶堂」。


南予遺産カードナンバー59 「堂の坂の棚田」。


南予遺産カードナンバー60 「龍澤寺石の延段」。


次のステージは、日吉。

日吉にはひとつしか南予遺産がありません。

日吉の町に入り、鬼北日吉支所の手前から山裾へ。

道からちょっと高いところにある古民家、

南予遺産の「明星草庵」です。

大正時代の古民家を移築したものだそうです。

 文化庁の登録有形文化財の碑もありました。


日吉の南予遺産カードの配布場所は、国道沿いにある、
 道の駅「日吉夢産地」。
売店のレジでカード、いただきました。


南予遺産カードナンバー78 「明星草庵」。

 「きじの助」と「きほくん」。

ここ、日吉夢産地の駐車場には、見目麗しいものがあります。


鬼のお母さん、「柚鬼媛(ゆきひめ)」です。


めっちゃ美人の鬼ママが赤ちゃん鬼を抱っこしてます (^_^)/


次のステージは広見。

広見川に沿って国道320号線を南下。

ガソリンスタンド「モービル宇和三島SS」から右に逸れ、
緩い坂道を上がると右側に、
広見最初の南予遺産、「善光寺薬師堂」がありますが、

訪問時は修復工事中で、藁葺きの三角屋根は見られませんでした。


次の遺産は、広見川に架かる橋です。

松野町への近道、県道280号線が分岐する興野々の交差点を右折。

 まっすぐな道の先に架かる橋が、

ふたつ目の南予遺産、「興野々橋」です。


次の遺産は広見の町の中。

立体交差をくるっと降りて国道441号線へ。

広見川を渡れば、広見最後の遺産、
 「鬼北町庁舎」はすぐそこです。
下からじゃ分からないけど、3D曲線の屋根が特徴的なんだとか。


広見のカード配布施設は、
 道の駅「広見森の三角ぼうし」です。


南予遺産カードナンバー75 「善光寺薬師堂」。


南予遺産カードナンバー76 「興野々橋」。


南予遺産カードナンバー77 「鬼北町庁舎」。



ダークみきゃん柄の自販機、カワユス。

森の三角ぼうしにも鬼がいます。

名前は「鬼王丸」。

僕は、鬼王丸と日吉夢産地の柚鬼媛は夫婦だと思ってました。

実は、柚鬼媛の抱いていた赤ちゃんが成長した姿が鬼王丸だったのでした。

 でも、赤ちゃんの鬼王丸は一本角。
二本角になったのは、いつ?


次のステージは、鬼北地方最後の松野町です。

国道320号線を戻り、興野々橋に行くときに曲がった興野々の交差点を松野方面へ。

丁字路を左折し、奥内遊鶴羽地区を目指します。

「遊鶴羽」と書いて“ゆづりは”と読むそうです。

山の中の小さな集落を結んでるだけの道なのに、
センターラインのあるいい道で、まぁ、カーブ連続だったけど、
山道の割には早くたどり着けました。

 またまた、段々畑です。
「奥内棚田」が松野町ひとつ目の南予遺産です。

別名・遊鶴羽の棚田も、「日本の棚田百選」にも認定されてます。

ちなみに、これで、県内の日本の棚田百選の棚田、
3つすべて見ることもできました。


ナビに従って奥野川へ、県道106号線へ。

川に沿って下り、JR真土駅の近く、国道381号線に出ます。

高知の江川崎方面へ国道を南下し、県境まで。

広見川の県境に、沈下橋が架かっています。


松野町ふたつ目の南予遺産、「葛川沈下橋」です。


残念ながら、落下しているので渡りきることはできません。

葛川沈下橋

建設年度 S25  橋長 48.1m  幅員 2.5m  経間数 10経

 現在、愛媛県にある数少ない沈下橋の1つである。

 名のとおり、沈下橋は脚が低くて増水時には水没するようになった簡単なもので、近年では交通の安全性が優先され、撤去されるものが多く全国でも貴重な存在である。

 この葛川沈下橋は広見川に架かったコンクリートのスラブ橋で、出水沈下時の流水抵抗を減ずるため手摺や車止め等も一切ないが、地元と葛川を結ぶ生活橋として永年にわたり親しまれてきた。

松野町




松野町最後の南予遺産は、松野の町の裏山の上にある城跡です。

県道8号線を南下して、お山の裏側に回り込みます。

お山の懐のような谷に分け入ると駐車場があります。

 遊歩道を歩いて谷の奥まで行くと、
時計回りに山上へ上がる登山道があります。

谷の奥の遊歩道が一番の近道です。

 山道な遊歩道を登ります。

 分岐を登ると、

門のある堀切があります。


尾根の上の曲輪の跡は、緑地化されています。

松野町最後の南予遺産、「河後森城跡」に到着です。

登山と呼べるほどの山登りじゃありませんが、
城跡まで10分くらいは登ります。

新城、古城、本城と、年代ごとにお城のあった場所も変わったため、
登山コースも複数存在します。

松野町役場のある北側にも登山口がありますし、
よろしければ、僕が書いた、「松丸の城の山へ行こう!」もご覧下さい。


松野町のカード配布施設は、
 道の駅「虹の森公園まつの」です。
いつものように売店のレジを訪ねました。

でも、売店じゃもらえませんでした。

 水族館の「おさかな館」の受付でした。

受付でもらえるので、入館料は発生しません。

淡水魚を中心とした展示をしてて、ペンギンもいるし、
900円と安いので、見学もおすすめです。

南予遺産カードナンバー79 「河後森城跡」。


南予遺産カードナンバー80 「奥内棚田」。


南予遺産カードナンバー81 「葛川沈下橋」。


と云うわけで、鬼北エリアも終了。

一日で全部廻れてよかったです。

このあと、松山まで帰るのが遠くて大変だったけど。

とうとう、残すは佐田岬エリアだけとなりました。

次回はいよいよ、南予遺産の旅の最終話。

でも、佐田岬エリアは、一筋縄でいかない遺産ばかりで、
これまでの南予遺産旅で一番、汗をかいた旅になりました。

ルートもきちんと紹介しないと迷うだろう場所もあったので、
最終話は2本立てなります。
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