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南予遺産の旅 13 瀬戸町→三崎町
2017 / 12 / 03 ( Sun )
いよいよ、残る南予遺産は5カ所のみとなりました。

最後に残ったのは、佐田岬半島に点在する遺産たちです。

佐田岬自体、遠くて移動に時間はかかるだろうけど、
たった5カ所だから、2、3時間で終わって帰れるだろうと、
高をくくっていました。

でも…。

いままでで一番大変って云っていいくらい、
一筋縄ではいかない遺産たちでした。


最初に訪ねた瀬戸町の南予遺産は簡単でした。

道の駅の脇に赤い大きな鉄橋が谷に架かっています。

道の駅脇から谷へ下り、橋を見上げる場所へ。


いつものように橋が遺産、ではなく、この谷自体が南予遺産です。

この谷は江戸時代に人工的に開削しようとした運河の跡で、
「塩成堀切跡」と呼ばれています。

橋から見下ろせば、確かに北の瀬戸と南の海が指呼の距離にあり、
運河を造れそうな気になったのも分かります。

もう少し頑張って掘り続けてたら、南北の海が繋がってただろうな場所でした。


瀬戸町の南予遺産は運河のみ、道の駅へ戻り、カードをもらいます。

 道の駅「瀬戸町農業公園」の売店レジで。


南予遺産カードナンバー39 「塩成堀切跡」。


次のエリアは、佐田岬の先端の町・三崎。

三崎最初の南予遺産は、入口や経路がはっきりしなくて、
ちゃんとたどり着けるのか、心配でした。

生コン屋がある丁字路で右折し、県道255号線へ。

海岸線沿いにくねくね走る、昔ながらの旧道です。

対向車が来たら原付でも避けづらいような狭い道。

釜木集落の手前で、遺産がある海岸線が見えました。

遺産はU字に凹んだ磯にあり、道路からは見えません。

小さな漁村・釜木集落を抜けて間もなく、

カーブミラーと白い杭のある左カーブが遺産の入口です。

バイクはこの先の右カーブの広い路肩に駐めました。


白い杭の脇から海に向かって下ります。

釣り人が付けたのだろう、明瞭な踏み跡があります。


道の真ん中に怪しいキノコ。

 磯のぎりぎりまで下ります。


そして左にくぃっと曲がりますが、ここからは明瞭な踏み跡はありません。

けもの道程度の細い筋が海岸線に沿って続いているだけで、
それも右下がりの急斜面なので、滑落しそうです。

滑り落ちたら、海にドボンっです。


岩棚を越えると南予遺産「旧平礒水底線陸揚室」の目前に到着。


昭和2年(1927)の建物ですが、石段もちゃんと残っています。

 
階段部分を振り返って。

 コンクリートの表面にツタが張ってました。


入口のアーチや窓枠のタイルなど、意外に凝った建物です。

 入ってみました。
左にトイレ、右に小部屋、奥にも部屋がふたつあるようです。


すぐ右の部屋、釣り人が置いてったのだろう、リールや一升瓶。

写真は逆光で暗いですが、実際は外光で明るいです。

 天上までツタが侵入。


入ってすぐ右のクローゼットには鍋が一つ。

 入口入って左のトイレ。


奥の部屋とリールのあった部屋の間に小部屋があります。

床には厚い木の板が床に敷き詰めてあります。


窓枠も一部外れた奥の部屋へ。


右の棚の奥の壁に、メモ書きのような走り書き。


交換機のようなものがあったのかな?


天井に残る配線、棚の支え。


裏はすぐ塀があり、塀の外は崖です。

 表は海。


海側を見に外へ。

 とてもきっちりした石積みです。

 中程にあるのは電線の引き込み口かな。

 別の角度から。


陸揚室の前は、崖に挟まれた小さな入り江です。

陸側に明確な道がなかったので、当時は船で通っていたのかな。

旧平礒水底線陸揚室

 平礒と釜木のほぼ中間から急斜面を下った小浜(通称ゴンドウ)に花崗岩で石積みされた台地上にコンクリート造りの平屋の建物があります。
小さな建物だが入口のアーチ、窓枠のタイル張り、スタッコ壁など当時のモダニズム(現代風)が巧みに表現されています。
 この建物は・対岸(九州)からの海底ケーブルを陸揚げする施設で、昭和2年(1927)3月、佐賀関町志生木と平礒間44.2kmをつなぐために設置されました。
 なお、本町には同じ頃に、井野浦にも井野浦水底線陸揚室が臼杵市下ノ江をつなぐ海底ケーブルとして利用されていました。
 当時・電話による通信は有線以外に方法はなく、海をへだてた対岸(九州・本州)との通信は、この海底ケーブルの普及によって急速に発達しました。
 県内6ヵ所のうち三崎町に海底ケーブル陸揚室が2ヵ所設置されていたことは本町が地理的に重要な位置であったことがわかります。
 なお、上記文化財は平成15年12月1日付けで、文部科学大臣により文化財登録原簿(近代化遺産)に登録されました。

『三崎の文化財』より




帰りはちょっと別のルートで戻りました。

急斜面の踏み跡が滑落しそうで怖かったので。


出てすぐの岩棚からまっすぐに斜面をよじ登ります。

雑木とか掴んでまっすぐ登ると、

深さ・幅30センチほどの人工的な溝に出会いました。

溝に沿って海の方へ歩いて行くと、来たときに左折した場所に合流しました。

正直、危うい踏み跡を歩くより、安全です。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

※ピンぼけ写真を撮り直しに、ふた月後、再訪しました。

 バイクを駐めた、次の右カーブ。

 磯の手前の左折場所。
今度はこの溝に沿って進み、急斜面を下って岩棚に下り立つ、
岩棚直行ルートで向かいました。

倒木が邪魔してるところもあるけど、全然、安全でした。

 どっちで行っても岩棚に出ます。


岩棚から見た陸揚室。

この角度の写真がピンボケてたので、撮り直しに来ました。

 潮が引いてたら、岩棚から降りていった方が安全。


陸揚室前の海。

 潮が引いてたので、前景も撮れました。

 前回より雑草が落ち着いてたので、
もう一度中に入ってみました。  


すると、中央の部屋の床板が一部、外されていて、
地下室を確認できました。

昔、ここにはケーブルが通っていたのかも。


玄関前の草花。

 直行ルートの岩棚からの取り付き部分。

 マムシグサの実、有毒 (>_<)


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

まぁまぁ、ひと汗かいてバイクに戻りました。


ルートがあまり安全とは云えない南予遺産です。

ただの南予の遺産のひとつとして選んだのならいいけど、
子供も参加するかも知れないイベント要素のあるものに、
このような危険な場所が入っているのは、正直、感心できません。

選定した県のスタッフは、実際に自分の足で歩いて、
安全とか、確認したんでしょうか?

疑問が残ります。


さて、次の遺産も大変です。

と云うか、南予遺産で一番、酷い道のりでした。


旧陸揚室から二名津集落に一旦出て、国道197号線に復帰。

三崎の町まで進みます。

陸橋のある三崎交差点の次の、海沿いの丁字路を、
「←ムーンビーチ井野浦」の案内の方へ左折します。

海岸線をどんどん走って、ムーンビーチ井野浦まで。

ビーチの中程に、内陸へ向かう道があるので、左折します。


思いの外、大きな池、阿弥陀池があります。

湖畔を反時計回りに進み、そのまま、道なりに森の中へ進みます。


車道が行き止まり、森の中に農道な坂道があります。

 ここが次の南予遺産、「旧三崎精錬所焼窯」の入口です。

三崎精錬所焼窯

国登録有形文化財 平成15年(2003)12月1日登録

 三崎精錬所(製錬所)は、明治33年(1900)12月に井野浦地区の童子鼻に創設された買鉱製錬所である。
創業者は川之石(現八幡浜市保内町)出身で、伊予における銅山王といわれた矢野荘三郎。
日露戦争当時は日夜稼行して活況を呈したが、製錬時に発生する煙で近隣の農漁業に被害がおよんだため、地元民に襲撃され多くの施設が破壊されたと伝えられる。
明治40年(1907)明治製錬株式会社の所有となるが、同41年(1908)に操業を中止した。

 森林の中に石造アーチの焼窯が整然と並び、レンガ煙突や煙道の跡、四角いプール状施設跡などが残る。
海岸には製錬時に出る黒褐色のかす「からみ」が散乱している。
旧式製錬の設備をよく残しており、佐田岬半島地域ひいてはわが国の銅鉱業の近代化の歴史を振り返る上できわめて貴重な存在である。



そして最後に、「ここより約500m」と書いてあります。

この「500m」が結構、大変な道のりです。

山歩きするくらいの服装、靴でお出かけを。

夏は、虫除けグッズも必須です。


看板から農道な坂道を登り、行き止まりまで。


周囲にはミカン畑があった頃のモノラックのレールなどがあり、
正面の土手を海に向かって登ります。

この時点でイヤな予感がしていたので、
長くしなって細く丈夫なタケを一本、手に取ってから進みました。


海が見える土手に出たら右に進みます。


左下に荒れたミカン畑を見ながら、踏み跡をたどり進みます。


モノラックのレールや、細い潅水のパイプも踏み跡に沿って続いています。

踏み跡には数mおきに大きなクモの巣が道を塞いでいて、
入口で持ってきたタケを常に振り回して歩きました。


ヤブが覆い被さった暗がりが何カ所もあります。

当然、クモの巣付きです。

 急に雑草だらけになり、道がなくなりました。

ヤブ歩きやお山歩慣れた僕でも道が消えたと思ったほどで、
ルートを間違えたのか、それとも分岐があるのか、
しばらく辺りをうろうろ、ルートを探し回りました。


右の土手に精錬所への案内看板を発見しました。

褪せた矢印は雑草だらけの方角を指していました。

雑草に負けず、直進するようです。

 雑草地帯は10mほどで終わり、またパイプが続いています。


その後も、モノラックのレールをくぐったり、たどって歩いたりして、
一体、どれくらい歩いてきたのか、分からなくなった頃、
 右の土手に「精錬所→」の看板がありました。
今度は土手の向こう側を下っていくようです。


雑木林の中をどんどん、下ります。

さっき越えてきた土手、思ったより、標高があったみたいで、
まぁまぁ下っても、海には出ません。

 案内もあるし、踏み跡もちゃんとしてます。


道は左に曲がり、古い石段をとことこ降ります。

 また案内看板。

 周囲には人が営んでた形跡があり、
段畑のような整地された石積みが森の中に眠っていました。


分かりにくいですが、道が二股に分かれます。

 このまま下ると、海。
左に曲がると、いよいよ、精錬所跡です。


案内から間もなくの距離に、雑木に埋もれた石積みが現れました。

 南予遺産「旧三崎精錬所焼窯」に到着です。

 アーチに組まれた石積みが印象的。

明治時代の遺構が、当時の形をいまだに保っているなんて、
こんな辺鄙な場所だったからなのかな。

長居してると貧血になるくらい、ヤブ蚊に襲われそうだったので、
自撮りを済ませたら、とっとと退散しました。


帰りも大変でした。

ヤブは変わらず、頭の上から覆い被さってくるし、
視界の隅でなにかががさごそ逃げる音にびっくりするし。

往きに取り払ったクモの巣を気にせずに帰れたのがよかったくらい、
まぁ、大変な難所でした。


さきの旧陸揚室同様、ルートがあまり安全とは云えない南予遺産です。

子供が迷子になったらどうするの?って感じです。

もう一度云うけど、
選定した県のスタッフは、実際に自分の足で歩いて、
安全とか、確認したんでしょうか?

南予遺産 Ver.2 では、このような安全を補償できないところや、
見学に許可がいるような私有地内、見学料が必要な施設内、
片道が徒歩30分もかかるような山中など、
そういうところは外すべきです。


そんなことを繰り返し愚痴りながら、やっとこさ、バイクに戻りました。

汗とホコリでぐちゃぐちゃでした。


つづく。
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