忽那山へ行こう! そのいち
2019 / 01 / 02 ( Wed ) ほぼ1年ぶりの更新。
みなみなさま、お元気ですか。 ブログもホムペも更新なくて、心の片隅でもご心配おかけしているかも知れませんが、 なんとかちゃんと生きてます (^_^) さて、年改まり、平成最後のお正月が来た平成31年1月1日の午後のこと。 まるで街ごと寝正月したかのような静かな市内を原付お散歩してました。 初詣でもしようかと思いつつ。 適当に西に向かって走っていたら、空港の方まで来てしまいました。 松山空港真横にある空港南第二公園で、まったり、離着陸を見学したり、 帰省客、観光客の送迎で賑わうターミナルを一瞥したり。 久しぶりに、帝人工場の西側にある、海堤防沿いの狭い抜け道も走ってみました。 大阪ソーダ松山工場沿いの埠頭を走ると、真っ正面に小さなお山が目に入ります。 陸繋島=陸続きになった小島のようなお山が海岸線にあります。 忽那山 です。 忽那山は「三津の山へ行こう!」で取り上げています。 でもそれは、山頂未踏 のお山としてです。 標高は49mしかありません。 そんなささやかなお山なのに、頑強にはびこった雑草・雑木林が行く手を阻み、 あらゆる侵入者を情け容赦なく拒んでいました。 最初にトライしたのは、10年以上も前、2007年2月のことでした。 それから数年の間に何度かトライしてはみましたが、 その度、結果は同じ、肩を落として帰るの繰り返しでした。 最近ではすっかり、あきらめてしまい、近寄ることも少なくなってしまいました。 悔いを残したまま、10年の時が過ぎていました。 でも、この元旦の夕暮れ時に見た忽那山は、なにかが違って見えました。 あれ?ってなりました。 山頂部分のぼうぼうだった雑木が整理されたように見えました。 緑の土手のような、なだらかな傾斜の地形が露わになっていました。 あきらかに、誰かが山頂に入り、伐採作業を行ったことは明らかでした。 と云うことは…。 急いで麓へ向かいました。 山頂部分は、あきらかに人工的な台形で、土手のような地形が露わになっていました。 忽那山は遠い昔は城跡で、戦前戦中は防空機銃砲台が築かれていました。 ここ10年で初めて見た光景にドキドキしながら、北麓へ。 ![]() ![]() 「コンテナターミナル →」の案内のある丁字路を曲がります。 ![]() ![]() 曲がってすぐ、宮前川放水路に架かる忽那橋の手前をまた左折します。 ![]() 川に沿ってお山へ向かいますが、入口には車止めがあるので、 自動車の方は入れません。 ![]() 奥に赤い色の水門が見えます。 ![]() ![]() 電信柱の横に登山口があります。 ![]() 階段状に見えるこの道は、10年前にもありました。 ![]() 登山道を登ると、平らかで広い場所に出ます。 10年前、ここいらは畑になってました。 でもいまはなくなって、草っ原になってました。 ![]() 大きな木の周りにサクラの苗木が植林してありました。 周りは最近、除草作業が行われたような、冬枯れとは違う雰囲気です。 立ち止まって改めて、「忽那山」についてネット検索してみました。 昔はまったく検索結果がなかった忽那山でしたが、いくつかのブログがヒットしました。 ブログには、大勢の人が伐採、除草作業する風景が収められていました。 国際NGO・公益財団法人「オイスカ」の愛媛支部が中心となって、 松山空港の真横、空の玄関口に位置する忽那山にサクラを植樹し育て、 花咲くお山で旅行者を迎えよう、と云う趣旨の活動が公開されていました。 ときには済美高校の生徒らも参加しているようで、驚きました。 草刈鎌や草刈り機を手にヤブに立ち向かい、 落ち着いた野原に愛媛を代表するサクラ「陽光」が植樹されていました。 その過程で、山頂まで登ることができるお山に生まれ変わったようなのです。 「オイスカ」、「森づくりプロジェクト Mt.Love10」で検索してみて下さい。 まさに、知らぬ間に…って感じでした。 忽那山は、しばらくご無沙汰だった間にいろんなこと、良いことががあったようです。 つづく。 |
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