病気を抱えながら山に挑む人もいれば、
ありったけ登り尽くそうとする人もいて、
励まし合いながら登る人たちもいる。
今日は三つの物語。
ひとつめ。
読売新聞から、闘病支えた北岳登頂
通算150回達成、まだ通過点
「塩沢功、150回目登りました! バンザーイ!」。国内2番目の高峰・北岳(3193メートル=山梨県南アルプス市)登山を続ける藤沢市非常勤職員塩沢功さん(61)(藤沢市在住)が今月13日、通算150回目の登頂を果たした。
塩沢さんは5年前に難病のパーキンソン病を発症。
闘病生活の中でも、自力での登山をやめなかった。
「北岳は私にとっての神様。登り続けることで、体調を保っていける」と、喜びをかみしめた。
塩沢さんは、長野県飯田市出身。高校卒業後、故郷を離れ、藤沢市職員になった。
19歳の時、スキー旅行で出会った妻、扶佐子さんと22歳で結婚。
25歳で長女を授かり、28歳の時、自宅を建てた。
このため、30歳代まで仕事一筋で、遊びに行く余裕などなかった。
登山に出会ったのは、40歳を過ぎた頃。
職場の同僚と北アルプス・奥穂高岳(長野県)に挑んだ。深く考えず、苦もなく、山頂まで行って降りて来ることができ、「向いているんじゃないか」と感じた。
最初は「夏のレジャーにちょうどいいかな」程度の気持ちで、丹沢山系から八ヶ岳、北アルプスなどを次々と登った。
大自然の中に身を置き、澄んだ空気を吸うと、日頃のストレスも吹き飛んだ。
やがて、44歳で初めて登った北岳に何度も通うようになった。
日本アルプスの中でも、藤沢市から比較的近い上、登山者が少ないのに、高峰としてのネームバリューがあり、「ミーハー心をくすぐられたから」だった。6~10月の夏山シーズンには、ほぼ毎週、通うようになった。
ところが、56歳の時、突然、疲れやすくなり、手が震えて、姿勢も猫背になった。
表情がなくなり、言葉もうまく出てこない。
病院に行くと、手足に震えなどが生じる神経難病・パーキンソン病と診断され、「目の前が真っ暗になった」と振り返る。
親族や同僚には、包み隠さずに病気のことを話した。
主治医を信頼して投薬治療を受けるうち、徐々に症状が回復。
周囲も変わらずに接してくれ、前向きな希望を持ち続けることができた。
「北岳に登りたい」。
この気持ちが闘病生活を支えた。
診断から半年後、北岳登山を再開した。
57歳で通算100回目の登頂を達成。
パーキンソン病患者の体験談コンテストに応募して、グランプリに輝き、講演依頼や患者からの相談も来るようになった。
定年後、非常勤職員となっても、北岳登山は続けた。
150回目の登頂は、9月12日から1泊2日で、登山仲間ら約30人と臨んだ。
初日に宿泊した山小屋までは、雨や突風が吹き付ける悪天候の山行だった。
しかし、一夜明け、たどり着いた山頂は、150回目の登頂を歓迎してくれるかのように晴れ渡り、雲の中から姿を現した富士山を見て涙がこぼれた。
150回で、初めての経験だった。
「病気になんか、負けていられない。次は200回を目標に頑張りたい」。
そう決意を新たにした。
ふたつめ。
読売新聞から、三百名山74歳踏破
驚異の健脚館林の中村さん
館林市瀬戸谷町の中村貞彦さん(74)が今月13日に、谷川連峰の朝日岳(1945メートル)の山頂を極め、日本山岳会が選定した「日本三百名山」の全山踏破を達成した。
60歳で「日本百名山」を踏破して以来、14年がかりでの目標達成に、「長年の夢をかなえられてうれしい」と喜びをかみしめている。
中村さんは高校時代に登山を始め、かぎの製造会社に勤める傍ら、休暇には北アルプスを中心に国内外で山行を重ねた。
1974年に東京都から館林市に移り住み、県山岳会理事や館林ハイキングクラブの会長なども歴任。
定年退職を6年後に控えた89年、健康維持と思い出作りを兼ねて、登山家で作家の深田久弥さんが選んだ百名山の踏破を思い立ち、60歳の誕生日の95年9月9日に達成した。
次の目標として「三百名山」踏破を掲げ、翌96年から月平均1、2座のペースで登頂してきた。
74歳ながら、山仲間が「化け物」と驚くほどの健脚とスタミナを誇る中村さん。
「朝晩に約1時間、犬の散歩に付き合うくらいで、特別なトレーニングはしていないが、病気で寝込んだことは一度もない」と笑顔で語る。
「フィナーレは群馬の象徴・谷川連峰で」と楽しみにしていた朝日岳の山頂を目指した今月13日は、風雨が激しいあいにくの天気。
長年の山仲間2人と35歳の長男を伴い、約6時間で山頂に達した。
下山後は待ち受けた妻と娘2人と合流してささやかな祝宴を張ったという。
「74歳になって、こんなに手応えのある山に登れるのは幸せ」と、元気な中村さん。
だが、今後は「好きな花の写真撮影を中心に、無理のない登山を楽しみたい」と静かに話している。
みっつめ。
読売新聞・大阪から、車いす富士登頂「来年こそ」…京都・宇治の中岡さん、悪天候で断念
三浦雄一郎さん激励に決意
手足の先から徐々に筋力が失われる難病「遠位型ミオパチー」の患者で、様々な難病の患者や家族を支援するNPO法人「希少難病患者支援事務局」(北区)の活動を知ってもらおうと、12日に車いすで富士山登頂を目指した中岡亜希さん(32)(宇治市)。
悪天候で登頂を断念したが、今回の計画を支援してくれた登山家三浦雄一郎さんの励ましもあり、来年の再挑戦を決定。
天候が回復した13日、来年の予行演習も兼ねて6合目まで登った。
登山の様子と来年の抱負を聞いた。
――登山の手応えは
一行は約40人で、5合目までマイクロバスで上がり、正午から1時間30分かけて登りました。
車いすに体を固定、仲間がザイルで引っ張ってくれました。
ペースを保てれば、次回は登頂できると実感しました。
――印象に残った風景は
13日は快晴で、右側に富士山の山頂がくっきりと見え、近くに感じられました。
左側には山中湖や河口湖、信州の山々が綿々と連なる様子を見渡せ、爽快(そうかい)でした。
次回はぜひ、山頂からの夜空と日の出を見たいですね。
――山登りに使った車いすは専用のものではないそうですが
前輪や後輪、背もたれ、首の支えを取り換えましたが、普段使っている車いすです。
私のように体があまり動かなくても、普通の車いすで、誰もが富士山に登れる可能性があるとのメッセージを込めました。
――体への負担は
風が吹いた時は少し、涼しかったです。
体を動かさず、体温が低くなるので、薄手のダウンジャケットやフリースを何枚も着込み、服にカイロも張りました。
血中酸素濃度や脈拍の測定器を人さし指にはめて、体調を把握してもらいました。
――1年後の再挑戦を決めたきっかけは
一度、登山中止を決めた後、三浦雄一郎さんから「来年も応援する。13日は次回につながる練習をしよう」と電話があり、決心しました。
三浦さんは当日、一緒に登ってくれました。
おかげで、自分が1年後に登っている姿を思い浮かべられ、意欲が高まりました。
病気は進行しますが、体をいたわりながら来年に備えたいと思います。
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