えぐれる登山道 どうしましょ
2009 / 10 / 18 ( Sun ) “僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る” 詩人・高村光太郎の有名な『道程』という詩の出だしです。 お山にある登山道も誰かが歩いたからできた道です。 人がガシガシとヤブや雑木をかき分け、踏み歩いたところを、 人の通わぬ夜は夜でタヌキやイノシシがせっせと踏み固め、 踏み跡はいつしか登山道になって行きます。 でも、往来が多ければ多いほど、踏みつけられていく地面は土がむき出しになり、 靴底は土をどんどんと削り取ります。 ちょっとした凹みも、雨が降れば排水路のような水道(みずみち)に変わります。 溝や樋のように水を集め、靴底が削るよりはるかに多くの土砂をえぐってゆきます。 ![]() 場所によっては人一人がすっぽり隠れてしまうほどに。 こうなる前に「どげんかせんといかん!」と云うことで、 大分合同新聞から、
水道が出来た道は、小さな小さな、谷。 雨水が流れてる時は、小さな小さな、沢。 ならば、鉄柵で雨水の流れを弱めるアイデアは、小さな砂防堤、かな。 でも、学者さんの「うまくいく」って、そうそう、上手くいかないもんだよね。 浸食は止められないし、和らげるだけで精一杯だと思う。 水が山を削るのは自然の摂理、輪廻だから。 250山を歩いて登って、いろんなコンディションの山道を歩いたけど、 僕なりに思うのは、 “等高線に対して垂直に交わるように付けた道は大抵、えぐれてる” 水は低い方へと流れます。 流れる距離が長くなると水は力を持ち、地面を強くえぐります。 縦に登る道は雨水の滑り台になってしまい、水にいらぬ力を与えてしまうのです。 けれど、Z字、S字、斜面を斜めに横切るように付けられたジグザグ路は浸食も少なめです。 縦の道のように、通して流れる水はほとんどありません。 大抵の雨水は曲がり角で外へ流れ出てしまいます。 古くからある登山道ほど、ジグザグしているように感じます。 年寄りや子ども、体の不自由な人、馬、牛でも登れるジグザグ路は緩斜面で優しい道です。 優しい坂道では雨水もゆったり流れますから、痛みにくく、補修も少なくて済みます。 そのことも、ジグザグ路が好まれた理由だと思います。 それにくらべ、もはや生活道じゃない現代の登山道は、縦に登る道が多いですね。 現代人は拙速すぎるというか、とっとと山に登りた過ぎるというか。 雨水の滑り台自ら作っておいて、まさに、自業自得。 雨水の滑り台にしたくなかったら、縦の道は埋め戻し、 ジグザグ路やトラバース路に付け替えた方がいいと思います。 緩斜の登山道は、距離は増えるけど、体の不自由な人でも登れますしね。 とはいえ、登山道の浸食も、台風の崖崩れも、富士山の大沢崩れも、 地球時間で考えれば、一緒だと思いませんか? 確かに、上の写真みたいに大きくえぐれた道は見た目にも無残な感じですが、 それはそこがたまたま道だからそう思うだけで、沢や谷だったらなんとも感じませんよね。 雨水からしたら、谷もえぐれた登山道も一緒。 現状維持じゃないと自然破壊だと決めつけるいまの風潮。 どうも過保護すぎるような気がするんですよね。 自然は自然を保護してないんだし。 |
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