山岳マンガの『岳』のようなお話。
富山県警山岳警備隊に、遭難救助された経験のある青年が入隊し、
日々の激しい訓練に耐え、いまは救助する側になってがんばってるそうです。
中日新聞・福井支社から、遭難経験者が救助の道へ 元関学ワンゲル部員の宮田さん

吹雪の中50キロ以上の装備を担いで冬山を登る宮田健一郎さん(左)=2月28日、富山県の剣岳周辺で(黒部署提供)
「助けてもらった命だから、人のために使いたい」。
福井、石川県境の大長山(1,671メートル)で2004年2月、14人の関西学院大ワンダーフォーゲル部員が遭難し救助された事故で、一命を取り留めた当時2年の元部員、宮田健一郎さん(27)=富山県黒部市=は、富山県警山岳警備隊員になった。
遭難者が家族との再会を果たせるようにと、恩返しの気持ちを込めて訓練に励んでいる。
「帰れるぞ」。
大長山で遭難し無線で救助を求めてから2日後、上空に防災ヘリコプターが見えたときの安堵(あんど)感は今もはっきりと覚えている。
食料は底をつき、燃料もわずか。
先輩は凍傷に、自分も体力の消耗を感じていた。
「あと1日救助が遅かったら、危なかった」。
病院で母親の顔を見たとき「助かってよかった」と心から思った。
遭難前の2年生の夏、大学生を対象にした登山リーダー研修会で富山県警山岳警備隊の横山隆警部補(48)に出会い、隊の仕事に興味を持った。
遭難後は「山で人のために働きたい」との思いがさらに募り、大阪市出身ながらあえて、横山警部補のいる富山県警へ。
黒部署で1年間の交番勤務後、07年からは山岳警備隊兼務に。
階級は巡査長だ。
最初の大きな事故は07年夏の剣岳滑落。
現場へ急行したが、助けることはできなかった。
遺体を担ぎ、黙々と山を降りた。
忘れられないのは今年3月、北アルプスの唐松岳山頂付近で起きた滑落事故だ。
悪天候でヘリが飛べず、歩いて現場へ向かった。
猛吹雪の中、現場近くまで来たが、上司は「これ以上進むのは危険」と命じ引き返した。
救助を待つ人の気持ちは体験で分かる。
だからこそ「這(は)ってでも助けに行きたかった」。
だが、「自分はまだ未熟」と思い、判断に従った。
翌日、ヘリの救助で3人は助かったが、2人は遺体で見つかった。
冬に50キロの荷物を背負って山に登るなど訓練は厳しい。
でも、辞めたいと思ったことはないという。
「自分が頑張り続けることが、救ってもらった恩返しになるから」
命を救われたと同時に、“道”を見つけることもできたんですね。
僕なんか、たくさんの恩をひとつも返せずにいる気がする…。
心苦しいよ…。
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